父の亡くなったことが悲しく辛い
病気で半年入院していた父が88歳で亡くなりました。
最初、すぐに治って退院するものと思っていましたが、良くなるどころかどんどん悪くなり、食事は鼻からの点滴だけになり、そのうち気管切開をして話をすることができなくなり、色々なことをあきらめる辛い入院生活でした。
気管切開は、本人が決断しましたが、きっとこれで元気になる、家に帰れると考えてことだったことは間違いありません。しかし、先月容体が急変し、自分の誕生日に亡くなってしまいました。
病院の先生が、一度家へ連れて行ってあげましょうと言ってくださり、準備を始めていましたが、一時帰宅するはずだった日が通夜の日になりました。
父は入院中、痛い思い、辛い思いをたくさんしたし、色々なことを我慢して、良くなりたい、治りたいとがんばってきました。しかし、結局父にとって何一ついいことはありませんでした。
優しい父で、色々な面で支えてもらいました。父がいなくなり、寂しく悲しい気持ちで毎日過ごしていますし、後悔や申し訳ない気持ちで胸が詰まりそうです。
人間は皆死ぬ、ということはわかってはいますが、苦しい思いをして亡くなっていく人がいる一方で、老衰で静かに亡くなる人もいる。
なぜ父はあのように亡くなったのか、悪いこともしていないのに。割り切れない気持ちでいっぱいです。私は病院から帰ってくると必ず仏壇に報告もしていました。
なぜこんな辛いことが起こるのか、ただの偶然とあきらめるしかないのか、お考えをお聞きしたく、よろしくお願いします。
自分自身の父に対する接し方で後悔ばかりです。父が亡くなった現実を受け入れることが難しいです。父の亡くなるまでのことについて考えるたびに辛くなります。
お坊さんからの回答 1件
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辛いと思えば辛くなります。
お父様のご逝去ご冥福をお祈り申し上げます。
べるさんが言われるように、人間は死ぬということを頭では分かっていたつもりでも、いざ現実となると、しかも大切なお父様となると悲しく辛い複雑な気持ちになることは仕方ありません。
お父様は、ご自身で生きよう努力されたのですから、それで充分だったと思います。辛い手術や治療を受けておられたのも、その表れです。
しかし、肉体には限界があるのも事実で、どのようにしても若返ることはできません。ゆえに老いること病にかかることは自然の摂理として受け止めていくことが、お父様も納得されるのではないでしょうか。
また、お父様の亡くなり方について後悔したり悩んではいけません。何故なら、お父様ご自身で治療等を選択されてのですから、又、仮に老衰で亡くなったとしても、同じように何かしてあげれたのではないかと悩むでしょう。
どのように死を迎えても、まずは寿命であったということです。誰にも分からないのが死であります。ゆえに、一切他と比較するものではありません。
それより、88年間生きてこられた、そのすべてが尊きことなので、たくさんの思い出や、感謝することに目を転じてください。
そのことが、お父様にとって一番いいことであり供養でもあります。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
これまでのことを父に感謝して生きていきたいと思います。数時間だけでも家に帰ることができていたら、と残念に思います。