お金について
お金について細かい性格です。
どうすれば得するか、どうすれば節約できるかばかり考えています。
節税や、国保を安くする方法などをネットで検索してばかりいます。
お金を使うことに罪悪感を感じています。
常にお金のことを考えて行動しています。
父親がギャンブルで借金をしていました。だから家が貧乏でした。
その影響があると思います。
お金が無いのが怖いのです。
ならば稼げばいいと思われるでしようが。稼ぐ能力がありません。
お金に対する執着心が高過ぎると思います。
無駄使いするよりかは良いことだと思いますが、もう少し執着心を抑えて、お金優先の生活を変える方法はありませんか。
また、お金とは一体なんなのでしようか?
お金との良い関係を作る方法があったら教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お金は天下の回り物
私はケチですし、私の同業者といっても同じ宗旨の坊さんしか知りませんが、その連中も見栄は張りたがりますが中身はドケチが多いです。呆れるほどに……。
一般論としても、暮らしていかなければならないし、イザという時の備えも必要であるに決まっています。だから、節約に越したことはない。
でも、他者のためにお金を使うのはとてもよいことです。たとえば今、コロナ禍でみながとても苦しんでいますね。これは、お金が世の中を回っていないから苦しいんだと思います。私は、コロナ禍により、つくづくお金は回り物だなぁ、と思うようになりました。たとえば飲み会にいかなければその費用は掛からないはずですからお金が貯まりそうなものです。しかし、飲み会に行けなくなったのでみなが経済的に苦しんでいるわけです。お金が世の中を循環しているから私の懐にもお金が入ってくるのですよね。
だったら、生活や貯蓄のためのお金は手元に残し、使ってもよいお金で周囲の人たちに喜んでもらえば、そのお金は回りまわってあなたの懐に帰ってくるし、周囲の人たちも喜ぶことになり、みなが得をし喜びます。使わなければ誰も喜ぶ者はいない、利益を享受する者もいません。他者のためにお金を使うと結局は得をするということは真理だと思います。そして、それだけでなく目には見えないけど多くの人を豊かにすることもできるのだと思います。
卑近な私自身の例ですが、もうすぐ前住職(故人)のお友達の七回忌の法事です。前住職が亡くなった後、毎年かならずお参りに来てくれたお友達でした。その方も亡くなり、私も同じように毎年何かを持参してお参りしてきました。お参りする方も、される方もタダというわけにはいきませんが、結局、そうした人間関係により経済的に助けられていますので、私は得をしていることになります。毎年、いろんな物を買いますので経済効果もごくわずかにあり、社会にも少しは役立っていることになります。
幸運は一人でやってくるものじゃなく、誰か人間が持ってきてくれるものでしょう。よい人間関係に恵まれた人が幸せになるものと思いますが、その過程で裏切られたり、酷い目に遭ったりもしますよね。でも、その中から残ったよい人間関係を大切にするためにお金は存在するものだというのが私の考えです。参考になるかどうか分かりませんけど。
罪悪感に感謝の気持ちで「節約」
子どもの頃、お金にルーズな友だちがいました。彼は私より多目のお小遣いをもらっているにもかかわらず、いつも数日で使い切っていました。
そんな彼曰く、「お金を見てると、なんだか使わなきゃ!って思っちゃうんだよね」との事。気前がよく、憎めないところのある友人でしたが、お金に執着がなさすぎるというのも困りものですね。
相談者様はきっと私の友人のような真似はしないでしょう。「お金に強い執着がある」とのことですが、それは裏を返せばそれだけ「お金を大切に」しているということでもあります。
「家が貧乏だった」当時のあなたにとってお金こそが問題解決するための最も《リアル》なものだったのでしょう。全ての人がそうなるわけではないにしろ、ご自身の性格はそのような家庭に育ち、ご家族の姿と向き合う中で身についたものであれば、そこで培われたあなたの堅実な金銭感覚は、褒められこそすれ、誰に責められるものでもないはずです。
それなのに、お金を使うことに罪悪感があるのは、お金に対する執着よりもむしろ別のところに理由がありそうです。
一つ目は損得勘定です。
私たちは日頃、無意識にお金でモノの価値を計っています。その意識が強いほど、買ったものより、使った金額の方が気になってしまう。それが罪悪感につながっているのかもしれません。しかし、これはあくまで損得感情であり罪を感じる必要はありません。
もう一つは、これは私の推測にすぎませんが、「父親のようになりたくない」という思いが影を落としているように思います。
多分、相談者様自身も分かっているはずです。貧しかった本当の原因は、お金の有無ではない。お金があればあるだけギャンブルに注ぎ込んでしまう父親の「依存性」にあったことを。
この依存性は、いわば財布に穴があいてるようなものです。その恐ろしさを身に染みておられる相談者様が、罪悪感を感じてしまうのも頷けます。
この罪悪感を無くすのは勿体ないですが、減らすことは可能です。しかし、それも調節が難しい。ここは一つ見方を変えて、「節約」をポジティブに考えてみてはいかがですか?
そもそも、ご自身の罪悪感があればこそ、依存の落とし穴に落ちることなく、なんとか今まで生きてこれたのです。自分を守ってくれた罪悪感に感謝し、ほぐすつもりで「節約」する、というふうに考えてみてはいかがでしょうか?
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
お金に対する執着心は、家庭環境と雇用不安定が原因であると考えています。
世の中何をするにもお金がかかります。
資格を取る費用、新しい人間関係を作るための交際費、趣味にかかる費用。費用対効果を考えて行動するかどうかを決めて来ました。
結局、お金が無くなるのが怖く諦めて来ました。
お金が無いと、チャンスも失ってしまいます。
お金の有る無しで、日々の充実感が変わってしまう。
お金に執着せず生きるのは難しいです。
これからも、お金中心の生き方をしていくと思います。