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生活する上での罪悪感

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

いつも質問に答えて答えていただきありがとうございます。

私は神経質な性格です。物事を白黒つけたがり、疑問や問題があると解決せずにいられません。
身近な問題だけでなく、社会問題もそうで。環境問題や少子化。エネルギー問題などにも心を痛めてしまいます。
できることは実践しようと、ゴミを減らす生活をしてみたり電気を節電したりしているのですが、クーラーをつけるのも罪悪感があり、買い物で出るプラスチックにも嫌悪感が出てしまってます。
車も躊躇します。今やっていることは空気を汚しているんだと思うと、苦しくなります。
人として暮らしているからには、ごみも出るし、クーラーやヒーターで温度調節もしないと体調を崩してしまいます。
わかっているのですが、どうにも罪悪感が取れません。

私はどのように生活をしていけばよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

根本的解決はどこにあるか

ご相談拝読しました。

「疑問や問題があると解決せずにいられません」とのお気持ちは分かる気がします。私もどちらかというとその傾向が強いです。なんでもすぐに思う様にどうにかしたくなってしまいます。

さて、でも一旦立ち止まって考えてみましょう。

私たちが生まれてこのかた疑問や問題が解決した瞬間があったでしょうか?

全てが解決してもう何らの問題もないという時がひとときでもあったでしょうか?

どうでしょうね。

疑問や問題があるのでなく、疑問や問題を作る「私」がいるのです。つまり「私」が生きるということは私の視点で疑問や問題が生じるということです。疑問や問題は「私」が生きる営みなのです。

この疑問や問題への対処療法でなく、「私」自体をいかがせん!?という学びが仏教です。

あなたの抱える罪悪感ひとつ取ってもそれは「あなた」を構成するかけがえのない要素です。

あなたがあなたを否定しては苦しいでしょう。あなたはあなたを全うするしかないのではないでしょうか。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武さま。

ご回答いただき、誠にありがとうございます。すべての問題が解説した事は確かにありません。
私の性格上。常に何かを問いかけて、安全で完璧な世界が欲しくて欲しくてたまらなくて、それが手に入らないから苦しんでいるのだとわかっています。

でもやっぱり、問題が深刻化するのは恐ろしいんです。怖くて、なんとしたいと思ってしまって、でも今の社会で生きていく上で自分もマイナスなことをしてると思うと嫌悪し、動けなくなってしまいます。

私はマイナスな要素を作りながら生きていってよいのでしょうか?
出来れば多くを傷つけず、汚さず生きていきたいのですが、それも理想なんでしょうね。

私の拙い問にお答えいただきありがとうございます。

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