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ふと、思いました。

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有り難し有り難し 6

1週間たちました。
私って心の小さい人間だなあって気付きました。神経痛に身体中を苛まされ、主人は長期不在、愛犬2匹は次々と亡くなり、今は何とか身体の不自由なワンコがいるから生きていられる。この子達を置いてなんて考えられないけれど、身体が辛いと、自分だけなんて思ってしまう。もしそうなったら間違いなく2匹の犬は殺されるのに。仏様のお考えになる事は、ちっぽけな人間には推し量れる事はないですよね。身体中は痛い、息も絶え絶え、でも生きてみようかと思うけれど、この身体中の痛みは辛過ぎる。どうやって生きればいいの?って思う。何故仏様は私を殺さないのかな?辛い。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談拝読しました。

仏様は生殺与奪の権を握る様な存在ではありません。あらゆる存在が生まれ、老い、病み、そして死んでいく法則に目覚めた方です。それをコントロールできる人ではありません。

しかしあなたの気づきは大切なものです。自分の存在がちっぽけに感じられたのですね。
でも、そのちっぽけな存在が懸命に生きていてふと自分という存在に気がつくのは、仏様の大きなお心(=真実に目ざめて欲しいという促し)がはたらいているからではないでしょうか。

不自由を歎く自由は私たちにあります。不自由の中にあってもできることをして、心は自由に生きられますように。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

恐れ多い事です。仏様が私に働きかけてくださるなんて。何も無い私なのに。あるのは愚痴とヒステリーだけなのに。ついつい頭で考え過ぎて煮詰まってしまいます。仏様の御心に何も考えずにお任せ出来たらいいのに、ギャッーと叫んで文句ばかりです。
でも身体中を襲う神経痛は半端ないです。

昨日はお盆前の最終日。念の為病院へ行きましたが、やっぱり薬効かない。身体中が痛い。

東京の感染者331人、沖縄の感染者159人。どんどん闇が深くなります。
薬は効かず痛みはあちこちに移動します。夜寝る時、朝目が覚めませんようにと願い、朝目が覚めてしまいガッカリする。どうしても買い物に行かなければいけない時、車で轢かれないか、誰かに刺し殺されないかと願ってしまうのです。他力本願で、情けないですが。でも2匹のワンコを見ると心が引き裂かれます。泣いて泣いて心がグチャグチャになります。辛いです、本当に辛いです。

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