生きていてもいいのでしょうか。
甘やかされて育ってきたので、誰かにしてもらうことを当然だと考え社会や人間関係を軽視してしまいます。
その態度や考えから人に迷惑をかけてしまい、怒らせてしまうことがよくあります。
直そうと思っているのですが気を弛めてしまいまた繰り返してしまいます。
最近それをきっかけに相手をとても怒らせてしまい、注意を受けました。
とても不快な思いをさせてしまったのだと本当に申し訳ないのと同時にこんな性格でわたしは生きていてもいいのかな、と思うようになりました。
人に迷惑ばかりかけている私に生きる資格はあるのでしょうか。
もし、あるとしたらこの先どう考えて行動すればよいのかのヒント?考え?をお教え頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きてもいいんです。
今までは誰かを頼ってしまいがちだったのですから
今後はできるだけ
自分でするように心掛けてみてください。
誰かを助けられるか気にしてみてください。
迷惑を掛けたり掛けられたりするのは
他の人と付き合う以上は当たり前のことです。
お互い様です。
そこを心配する必要は無いですよ。
ひとりじゃない
生きる資格は、この世に生まれたことで備わっているものです。
誰しもが生きていていいんです。
迷惑ばかりかけるのが人間社会ですよ。その代わりに、自分が迷惑をかけられた時に相手を許す心を持って下さい。
広く、豊かな心で生きましょうよ。
せっかく生まれてきたのですから。
すべては繋がっています。
私の、あなたの心が暖かいなら、私たちに縁のある人たちも暖かくなるのです。
共に生き、共に栄えましょう。
すべては『おたがいさま』ですよ。
ご自分の改めなければならないところがわかっているのは、素晴らしいことですね。
後は、どうしたらそこが直せるかが問題となりますが、
これまで、あなた自身が、「人からやってもらって当たり前」と思っていたとき、あなたに色々としてくれた方々の気持ちに、思いを向けてみてください。
どんな気持ちであなたにしてあげたのか?。
そして、それをしてもらって、「当たり前だ」と思いながら、してもらう快適さをあなたは味わっていたことと思います。
これからは、人からして頂いて、自分が快適だったことを、
今度は他の誰かにしてあげてください。
自分がしてもらって嬉しかったことは、多分他の人がしてもらっても、嬉しいと思います。
食事の後、食べた食器を台所に下げる、とか、脱いだ靴を並べて揃えたり、人の靴も並べて履きやすいように揃えてみたり…。
身近なところから出来ることを探して、毎日積み重ねていくと、自然に身について、いつでも自然に、人のために何かが出来る人になっていきます。
若いうちですから、今のうちに失敗したり、怒られたりをたくさん経験してください。
凹むことも、諦めることも全くありませんよ。
あなたがしたことで、誰かが喜んでくれたらうれしいと思いませんか?。
お互いにうれしい、つまり、『おたがいさま』。
ここには、様々な宗派のお坊さんがいて、しっかり向き合って下さいますが、元を辿れば「仏様の教え」ですから、
お釈迦様がお伝えして下さっている教えの中身は、簡単に言ってしまうと
『おたがいさま』であると私は考えます。
今までは、人からしてもらっていたけど、今度からは、人にしてあげられる人になることで、世界が変わります。
人に頼ってはいけない、のではありません。
わからない時は、知っている人に、大いに聞いて、大いに参考にしながら前に進んでいきましょう。
ドンドン変わっていきますよ。