弱い自分との向き合い方
27歳、無職、男です。
今年の4月に、ある事情で新卒から4年間勤めた自動車メーカーを退職し、無職となり地元に帰って来ました。
退職後、市役所の試験を受ける為に猛勉強を始めました。
しかし、何箇所か受験した自治体に合格することが出来ませんでした。
倍率も高く、狭き門でしたがやはりショックでした。
丁度この頃(6、7月頃)から、試験不合格へのショック、コロナ禍で無職でいることへの不安や漠然とした将来への不安から、
うつ病のような状態になり、夜も眠れず、
勉強や、あらゆることにやる気が起こらず、集中することが出来なくなってしまいました。
将来の為に勉強や、やらなければいけない事があるのに、集中して取組めない事に対して、余計に焦り、自分への甘さを咎める気持ちが増し、過度にストレスを感じています。
そんな中、私の地元の市町村の試験が来月行われる予定で、その受験に際し、以前からお世話になっている地元議員の方が試験への助言等をくれています。
初めは、ただアドバイスを聞く程度だったのですが、
公務員試験について調べていくと、
"議員さんとのコネ"が採用に有効という記事をよく目にするようになりました。
確かに、数年前に、私と同じ様にその議員の方に試験の相談をしていた知人も、短期職歴ながらストレートで地元に合格していたので、そういった事もあるのだろうと考えるようになりました。
しかし、その"コネ"で受かるという保証もありませんし、それに頼るのは自分への甘え、何より、その議員の方にも失礼という思いもあります。
ただ、精神的にかなり滅入っている折、そういった事に期待してしまう弱い自分もいます。
地元の他にも、まだ採用試験が予定されている自治体はあるのですが、勉強への意欲が全くなくなってしまい、今は民間企業の採用も探している状況です。
元々目指していた公務員試験の勉強に対しやる気がなくなっている自分への憤りや焦り、就職の不安に襲われ、気分が落ち込んでいます。
一方、何とか就職出来るだろう、とか、コネで市役所に受かるだろう、と言った甘えた考えが頭をよぎる事があり、自分に嫌気が差してしまいます。
やはり、無理にでも勉強や就職活動に力を入れて取り組むべきなのでしょうか。
それとも少し力を抜いて、楽な方へマイペースに進んでもいいのでしょうか。もう疲れてしまいました。先が見えず不安です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一緒に『次の一歩』を。
こんにちは。
浩文(こうぶん)と申します。
自動車メーカーを退職されたとのこと。
つーくんさんご自身としては
とても大きな決心でいらしたことでしょう。
『自分への甘さを咎める気持ちが増し、過度にストレスを感じています。』
その後も自分自身に厳しさを求めているのですね。
やはり心の中の不安や恐怖が、ご自身をそうさせるのでしょう。
呆けていても不安は増すばかりです。
かといって運やコネに頼りたくないといって
行く末を狭めるのも得策ではないのではないでしょうか。
まずはどんなかたちであっても
「次の一歩を進めること」。
これを一番に据えませんか?
扉を押してダメなら引いてみる。
たとえそれが楽な方向、甘えた方向だったとしても
つーくんさんのその、
いつでもご自身を省みる姿勢があればこそ
次の一歩がたとえちっぽけでも、
そのまた「次の一歩」が躍進になるやもしれません。
今は「こうすべき」「こうすべきでない」という気持ちから少し離れて
まるで子どもの頃公園で遊びまわったように
出来ると思うことだけを一生懸命やれればよいのではないでしょうか。
私もここ3年、週1回一応お坊さんというかたちで
220の質問に回答させていただきました。
他の僧侶の方と比べると
決して大きな数ではないけれど
ひとつひとつ自分なりに、
質問者さんの「次の一歩」になれたかどうかだけを考えていました。
今回つーくんさんのご投稿をお読みして、
私も「次の一歩」を踏まなくてはならない、
つーくんさんがひとりで苦しまないでいられるように
つーくんさんと同じように「次の一歩」が出せるようでありたい、と感じました。
何もお伝えすることがなくて申し訳ありません。
ですが、つーくんさんに私が勇気づけられたように
私もつーくんさんを応援しています。
為 大恩教主本師 釈迦牟尼如来
高祖承陽大師 永平道元大和尚
太祖常済大師 瑩山紹瑾大和尚 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
次の一歩を踏み出す勇気を頂きました。
ゆっくり、少しずつ前を向いて歩んで行こうと思います。