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うつ病です。どうしたら焦らず過ごせますか

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先月末、うつ病と診断されました。大学4年生です。

理由は主にデザインを行う学業のことで、上手くいかない卒制や、担当教諭からの指導などを受けて自分を責め続けた結果、心がポッキリ折れました。

現在、周りの支えのおかげでなんとか死にたいとは思わなくなりました(消えてなくなりたいとは思いますが)
薬を飲んで自分を責める時間も少しずつ減ったのですが、何もしてないとどうしようもなく心がざわざわするのです。
何もしていないことはいけないことだ。休んでいるのは悪い。早く何かしなくては、治らなくては。ととても焦ります。なんでこんなに焦るのか分からないのですが、何もできないと涙が止まらなくなるのです。

やっていいことにも色々違いがあり、自分に何か身に付いたり、親の手伝い、役に立つことはできます(手伝い、編み物、散歩、没頭できるくらい得意なことを伸ばす)
しかし、寝ることや、ゲームをする、ただ休む、これはダメなんです。どうしてもできないんです。しちゃいけない気がしてしまうのです。

それでも何もしたくない日、疲れた日もあります。そういう時は、無理矢理何かします。ですがもう、疲れるのです。家事も、肩の凝る作業も、散歩も。

どうしたら自分を休ませてあげれるのでしょう。最近はうつ病でいることが辛くて泣いています。焦らず日常をお休み期間として使えるように、どうやったらなれますか。
また、なにか、そういったときに「やること」はないでしょうか。おすすめがあれば教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何もしてない積もりでも、あなたの体は生きています。

 私は病気については詳しくないのですが、「何もしていない」とあなたが思っている間でも、あなたの肺は働いています。心臓も働いています。胃も腸も血管も、むしろ「何もしていない臓器」はほとんどないのではないでしょうか。
 それを感じてみる、というのはいかがですか?「マインドフルネス」という言葉を聞いたことはありますか?「ああ、いま私は息を吸ってる。肺に空気が入ってきてる」など、「自分の体がいま、何をしているのか」をきちんと実感してあげましょう、という教えが見つかるはずです。本も沢山出ていますから、調べて実践してみて下さい。
 肩が疲れた、背中が重いと感じたら、その部分を愛おしんであげてください。あなたがやりたいことを行うために、みんな懸命に働いてくれているのです。「背中さん、ありがとうね」といった風に。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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休むことも学業です。

しろ さま

学業が上手くいかず、自分を責めてしまうお気持ち、お察しします。
わたしも大学院では論文がどうしても書き進まず、心がポッキリ、数ヶ月休養したこともあり、休むことのできない自分に悩みました。

しろさんのおっしゃる、何もしないと心がざわざわする感じ、よくわかります。
何かしていないと、存在する意味がない。
そうした思いが、余計に何かしないといけないという気持ちに拍車をかけ、結果休めないことに焦ってしまいますよね。

しかし、わたしたちのからだは肉体と精神の両輪で動くもの。肉体が疲れると精神が落ちていき、逆もしかり。精神が疲れると肉体もうまく機能しなくなるのです。

機械のようにメンテナンスの時期がわかりやすいといいのですが、人のからだは頭でがんばろう!と思えば、どこまでも動かせますし、悩むときは精神もいつまでも働かせてしまう。なのに、メンテナンスはおろか、罪悪感から休むことはなかなかさせませんよね。

「休む」ことを学業の一環だと思って、ぜひ習得してください。この機会を与えられたのは幸運だと思います。

習得のコツは、楽しむこと。

「楽しむ」というのは快楽的ということではなく、心が安らいだり、ホッとする瞬間、通常時の自分を俯瞰することができる時間を暮らしの中で見つけることです。

丁寧に淹れたお茶を飲むとホッとする、拭き掃除に没頭するなど、人によって違いますが、暮らしの中でしろさんの心が休まる瞬間を注意深く見つけてみてください。

日々是道場(ひびこれどうじょう)という言葉があります。
毎日の暮らしの一つ一つにお寺で行う修行と同じ輝きがあります。全ての行為には意味があり、奥行きがあるのです。

やみくもに何かしなきゃ!とこなすのではなく、今日はこれを取り組む、今日はこれ、というふうに一つ一つ味わい、日々の移ろいを感じてください。
何もしない、何もできない、何の役にも立たない。そんな日があってもいいのです。
安心して、しろさんの安らぐ瞬間を見つけてくださいね。

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有り難し
おきもち

真宗大谷派の僧侶。名古屋、京都、東北が拠点。 ◆よく受ける相談 家...
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質問者からのお礼

お二方とも、ありがとうございます。

ホッとする瞬間を見つける。体の働きを感じ、疲れた場所を労ってあげる。
どちらも今の自分でもできそうなので、これからは無理ない範囲で実践していきたいと思います。

こうしてお返事をいただけただけでも、少し心が軽くなります。有り難い限りです。
どうも、ありがとうございました。

「鬱の症状・うつ病に向き合う」問答一覧

相反する気持ちへの対処法

本年もよろしくお願いいたします。 過去の質問の通り、私は6、7年ほど前からうつ病を患い、寝たきりに近い状態になりつつも何とか社会復帰を願っています。 今自分にできることをやって、今の自分を良くすることを考えるようにしたい。それは間違いなく本心のはずです。 でもどこかで、自分の心はそれを必ずしも良しとしていないように思うのです。 例えば、夜寝ようとしても全然眠れないとき。これでは次の日に用事があれば間違いなく影響してしまうのですが、何かイライラしている。そして、最近あったこととか、うつ病であることすら隠れ蓑にしてイライラに身を任せたり、怠惰をむさぼったりしてしまう。ドカ食い、ゲームやスマホの長時間使用などが止まりません。それでよくなるはずがない。 心のどこかで、変わることを恐れている自分がいるようなのです。 「社会復帰したくない、ずっとこのまま自由に穏やかでいたい、人生の波風を立たせたくない」・・・。 それこそ社会復帰じゃなくても、痩せなきゃいけないのにドカ食いしていたり、お金を節約しなければいけないのに豪遊しようとしたり、正しい道が分かっているのにいろんな理由を付けてそこから外れる行動をとってしまうことが多いです。 あるいは忘れようとした悪い記憶を思い出して、怒りが止まらなかったり、復讐まで行かずとも一泡吹かせることはできなかったのかなどと思ったりもします。 そういう部分も人間にはあるとは思います。うつ病の人が、心のどこかで「治してよくなろう」と思っていないから治療が進まず、後戻りすることすらある。そんな話も聞きます。 でも、「人間大なり小なりそういうものだから」「こういうことはよくある」でもう片づけたくはないのです。 自分としては、相反する気持ちも受け入れて、何とか悪い行動はとらないようにしたい。「正しい」「悪い」の判断が良いかわからないけど、「正しい」道から外れて「悪い」行動をすれば絶対後悔するのはわかっているのです。 相反する想いに折り合いをつけて、自分を壊してしまいかねない思考・言動を避ける。難しいのかもしれないですが、そういう事が少しでも出来るよう、アドバイス等あればご教授いただけますとありがたいです。

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期待されるのがしんどい

期待されることがしんどくて仕方ないです。この気持ちはどう考えれば晴れるのでしょうか? 指針になるようなお考えをお聞かせください。 以下、長くて申し訳ないのですが現状です。 ここ最近、鬱病にかかり数ヶ月休職したあと、元の職場に復職しました。 復職後はなんとか体調管理をしながら仕事をこなしていたのですが、この度、異動することが決まり、その件で感じたことです。 異動連絡のあった当初は「閑職に飛ばされるんだろうな」と思い、鬱の療養のことを考えても今より楽な仕事につかせてもらえるのは正直ありがたいなと思ってました。 ですが蓋を開けてみると「花形部署」勤務。今までと全く違う業務内容に花形部署ならではの質と量を求められることになりました。 こんなことをされても鬱病だから無理だと訴えても「優秀だから辞めてほしくない」「だから一番やりがいがあって、かつ、調整が効く部署に配属に決めた」「できる範囲の仕事をやってくれたらいい」と言われるのみ。 周りに相談しても二言目には「優秀だから期待されているんだね」「優秀なんだし、そんなに頑張らずにやればいいんじゃない?」との反応。 だんだん周りに「辛い」と相談しても自分の優秀さや会社に評価をされてるという自慢をしているような雰囲気になって、誰にも相談ができなくなりました。 私は一度もその部署に行きたいとも、出世したいとも言ったことはありません。 今の部署も出世するルートのある部署ではなく、マイペースにやれる部署でした。 それに私は優秀なのではなく、真面目で言われたことを言われたままにコツコツやるタイプなだけです。 ですが、その性格も鬱病で駄目になりました。なのに周りはまだ期待をかけてきます。それに応える必要なんてないはずなのに、応えてもらえなくて悲しむ相手を見て罪悪感がわいて、つい頑張ってこなそうとしてしまいます。 毎晩、どうしたらいいか分からなくなって、悲しさだけがポツポツと湧いてきているような状態です。とても悲しくて、やるせなくて、しんどくて辛いです。 どうかこんな私に、何かお言葉をいただけると幸いです。 よろしくお願いします。

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母が鬱かもしれません

鬱かもしれない田舎に暮らす母への適切なフォローと、これからの私の心持ちで漠然と悩んでいます。 60を超えた母がいます。この間、痙攣を起こし、救急搬送されました。検査の結果体に異常なし、心因性ではないかと診断されました。 田舎で父と父方祖父母と暮らし、近いですが別の地区に母方祖父母が2人で暮らしています。高齢な親たちの面倒を、母がひとりで面倒見ているような状態です。 私の姉に子が生まれて里帰りをしたり、母方の祖父母が立て続けにガン手術をしたり、相続周りの話をしても聞く耳を持たない様子だったりと、去年から心が忙しない日々を送っており、時折激しく家族の愚痴(父の兄弟が義父母の面倒をみないことなど)をこぼすこともありました。福祉に明るい姉には、鬱傾向を相談していたようです。 母は以前から、パニック障害のようになり呼吸が苦しく飛び降りてしまいそうな気持ちになることがあったり、プライドが高く自分で全部やろうとするので頼るのが下手だったりします。 父は母が居ないとダメになってしまうのが目に見えてるような人で、責任感はありますが急に気性が荒くなるので話し合いがあまり得意じゃありません。(私たち子どもも昔からうんざりです) 母には精神科受診を勧めました。最近私自身も心が疲弊し精神科受診を体験したので、そのエピソードも交えて。ですが田舎のため、精神科が圧倒的に少なく、適切なカウンセリングが受けられるかもわからず、またどこに行っても誰かしら知り合いがいるため、精神科受診のことを変に噂しそうな田舎独特の空気もあります。母自信もそこをかなり気にしており、都会はいいわねとこぼします。 そばにいて、優しく話を聞いたり、病院選びに付き合ってあげれたらいいなと思いますが、私が都内で働いているため、なかなか難しく。 父に任せるしかありませんが、母を想うより先に自分の不安が苛立ちに変わってしまうような甘ったれな部分もあるため、日々の中で母がさらに落ち込まないか心配です。その辺りも姉と相談しながら、適切な医療にアクセスできるようフォローはしたいと思っていますが…。 元気だった母のこんな姿に、私も少なからずショックがあります。このような時の心持ちのために、何かお言葉をいただけたら、私自身気を強く持てるかもと思い、ご相談しました。 乱文申し訳ございません、よろしくお願いします。

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産まれてきたことを謝罪したい

鬱が非常に酷く、特に罪業妄想の症状に悩まされています。 最近は「産まれてきたことをどうにかして償わないと」という妄想が 毎日頭の中を反芻し、それ以外のことが考えられなくなることが多々あります。 仕事をしている間は、まだ気が紛れるのですが、土日は布団の中で時間がすぎるのを願い、 ただ時間が流れるのを待つだけの日々が続いています。 皆は時間が資産だというのが羨ましいです。私にとって寿命は途轍もない負債です。 ただ、いま自殺してはいけないのはわかります。職場や家族、親族に迷惑をかけてしまいますし、 それによってダメージを受ける方や、後処理に手を焼く方々が居るのは十分承知しています。 具体的な質問ですが、仏教では産まれてきたことは罪なのでしょうか? その罪を償うとしたら何をしたらいいのでしょうか? 寿命をまっとうすることが罪への償いなのであれば、苦痛に耐えられる自信がありません。 また、幸福の追求は義務であり、不幸に甘んじることは怠惰なのでしょうか? 今は非常に不幸ですが、それを打破するために動く体力が無く、 それを無理矢理にでも生み出そうとすると、それも不幸に直結します。 最近は産まれてきてごめんなさいという、両親に対する罪悪感で気が狂いそうです。

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鬱状態が5年程続いている

高校を卒業してから今まで5年間、ずっと現在進行形で鬱状態です。 去年の10月から今年の5月まで少しでも体調を良くしたく精神科に通っていましたが、言いたいことをあまり言えず、先生も自分にはあまり合わないと思った為現在は通っていません。 高校を卒業してから専門学校や社員としての生活を無理してやっていました。 友達ともあまり会わなくなってしまい、生活するのがつまらなくなってました。 当たり前のことですが、高校卒業後は人生自体を自分で決めていかなければならないので、正直今でもこれからどうやって楽しんで生きればいいか分からないです。 生き方自体を見失ってます。 今からでも自分自身と生活を変えたいとは思っていますが、5年程の鬱の日々に対して未だに後悔が消えず、全く前向きに行動ができないです。 若い頃の年齢を無駄に過ごしてしまったと思っています。 高校を卒業してから、一年一年も早く過ぎていくと感じていて怖いです。 趣味も幾つかありますが、この鬱のせいで心から楽しむことが出来ません。 楽しい人生にしたいのですが、私はどういう気持ちでこれから生きていけばいいのでしょうか。 出来ればこの後悔を消し、少しでも前向きに生活し自分自身にも自信を持ちたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ