初めて経験する親しい人の死
初めて投稿させていただきます。
去る8月22日におじいちゃんが亡くなりました。
親しい人の死は初めてですごく辛いです。
家でもいつも母は泣いていたので、泣くのはやめなよと全てをわかっているかのように言っていたのですが、いざ式を迎えると自分もすごく泣いてしまいました。おじいちゃんを失った悲しみとこれから母やおばあちゃんのことを思うと、胸が張り裂けそうになります。
おじいちゃんの家に戻っても、もういないことに違和感をとても感じます。
話せるときに自分に起こった出来事や何ともない会話をもっとしておけば良かったと激しく後悔しています。
実直で子供思い、孫思いの本当に素晴らしいおじいちゃんでした。
常に家族みんなが喜ぶように、色んなことをしてくれました。
だからこそ、これからを明るく楽しく過ごして、母やおばあちゃんを励まさないといけないとは思っているのですが、言葉では言えても、実を言うとなかなか自分自身の気持ちが前を向きません。なかなか食事が喉を通りません。大きな穴が心に空いてしまいました。またおばあちゃんや母もいつかは亡くなると思います。家族一人また一人といなくなるその時が怖いです。こんなに辛いことはありません。
僕はこれからどんな行動を取れば、おばあちゃん、母を支えていけるのでしょか?
また棺に子供や孫で書いた手紙を入れたのですが、おじいちゃんは読んでくれているのでしょうか?
もちろん、読んでくれると思って書いたのですが、気持ちが届くのか心配です。
おじいちゃんは骨になっても僕たちの回りにいるのでしょうか?常に見守ってもらえてるのでしょうか?
本当にこの家族が大好きです。この家の孫に生まれて幸せです。自慢のおじいちゃんです。
最後におじいちゃんはどうしたら、笑顔でずっといてくれるのでしょうか?
たくさんの質問を申し訳ございません。どなたかお答えをいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な方を亡くされたから分かることもあります。
shotaさんのご心痛お察し申し上げます。
又、おじさまのご冥福をお祈り申し上げます。
shotaさんが思われる通りです。大切な方が亡くなるという現実を目の当たりにすると頭で考えていたことと実際の思いが違うということを。
shotaさんにとっては、初めてのことで尚更、その衝撃は大きいかと思います。誰しもが同じような立場になれば皆、そのように感じると思います。
ともあれ、素晴らしいおじいちゃんでしたね。そしておばあさまのことも同時に考えれることは、絶対におじいさまは喜んでいます。
もちろん手紙は読んでいますよ、というより書いているその時にすでに伝わったいるのです。実は肉体が無いということは、意識(心)の世界なので、思った瞬間に届いているということなのです。
ゆえに、今でも、又、これからでもいつでもおじいさまとは会える(もちろん姿は見えませんし、直接語ることはできません。次元が違うからです)のです。
おじいさまが喜んでくれるのは、shotaさんの優しい心です。お母さまやおばあさまに対して、どのように接していこう助けていこうという、その心、気持ちだけでもどれほど、おじいさまは安心して、そして喜んでいるか笑顔が想像できます。
もちろん、人間はいつかは亡くなります。どんなことをしても止めることはできません。ゆえに、今日を大切に、そしてご両親、おばあさまには出来るだけのことをしてあげてください。
素直な気持ちが伝わってきます。ぜひ、おじいさまの死を通じて、さらにこの世を生きることの大切さを感じてください。
そして、おじいさまに、ありがとうと感謝の気持ちを持ち続けてください。
質問者からのお礼
鈴木様
ご回答いただき誠にありがとうございました。
正直まだ日が浅く、立ち直ることはできませんが、僕がこれからおばあちゃんや母を守っていくようにすることで、おじいちゃんが喜んでいてくれるなら、これ以上ないモチベーションになると感じました。
手紙に書いたこときっと伝わっていますよね?
家族の気持ちが伝わっていますよね?
これから毎日おじいちゃんにあいさつして仕事に行こうと思います。
またそういった日が来るのが今からでも大変怖いですが、できる限り後悔のないよう、1日1日を過ごせたら良いなと思います。
やっぱり僕はおばあちゃんや母が大好きです。時間をかけて、一緒にゆっくり立ち直れるようにしたいです。