父親が好きなのに嫌いです
私の家庭は、中学生の時に両親が離婚しました。同居しているあいだ父のことは好きでも嫌いでもない、これからも一緒に生活していく人と捉えていましたが、小学校高学年の頃から母の父への愚痴が増えて、だんだんと父に愛されてないと思うようになり、父のことを嫌いになっていきました。小学生の私には自分が父を嫌っているということがショックで、学校で父親と仲の良い人の話を聞く度に奥歯を噛み締めるほど羨ましく、妬ましく感じて、咄嗟に嫌な顔をしてしまったこともあります。
でも、未だに父に連れて行って貰った場所も、父の癖も思い出せます。恋人と父親を重ねて、同じところがあるとイライラしてしまいながらもまた父を思い出します。なのに、父と連絡を取るのも避けたくなってしまうのです。私は、父のことを好きなのでしょうか。それとも、嫌いなのでしょうか。この気持ちは、どう整理したら良いでしょうか。長文ですみません、お目に留まりましたらどうぞよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛憎半ば
はるさん、初めまして。
自分にはその感情、何となくわかる気がします。
幼い頃に愛されていた?思い出はありますが、いざ大人になった時に、父親の思うレールに乗せられてた。その為の愛だったのかもしれないということがあって。母親を大切にしていない、さらには家族よりも自分が一番だったという部分が見えてきてしまったり。
はるさんは、お母様から聞いたことでお父様に愛されていないと感じたようですね。何を言われてそう思ってしまったのかは解りませんが、ひとつだけ私が解ったことは、親も一人の人間なんだ、ということです。自分が親になってみて、あんな父親には成るまいと思って妻子と接していますが、きっと子供からしたら私に対して、好きな面と嫌いな面があると思うんです。
私もイマイチ父親のことを好きにはなれませんが、悪いだけの人でもなくて。かといって、良いとこばかりでもなくて。会ってみると何となく冷たくしてしまったりします。
でも、それでいいんじゃないかなと。仕方ないことなんだと思います。
自分ももう大人だし。親は老いていく一方で、大変なこともあるだろうと思いつつも、やっぱりイライラしたり。
親は親の人生を生きてきた。はるさんははるさんの人生を生きてた。親子といえど、他人です。他人といえど、親子です。
一番良くないのは、親だから大切にしなきゃいけない!という強迫観念に縛られることです。冷たくしてしまう時があっても仕方ないし、余裕がある時は優しく接してあげるのもいいんじゃないですか?その位に考えて、気楽に、自分を大切にする方がよっぽど親孝行だと私は思います。
親孝行をしなさい!と仰る日蓮さまに叱られそうですが、お釈迦様は「中道」を重んじなさいと仰られている。張りすぎた弦はすぐに切れてしまう。緩みすぎた弦では音が出ない。良い音が出る位に弦を張る。何に関しても同じです。そして、心を自由に。
はるさんが穏やかに過ごせますよう。
拝