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『苦しい』のはもう嫌です。疲れました。回答受付中

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こんばんは。

子どもが亡くなってから仏教の本を少しずつ読み始めました。

『人生は苦だ』とありました。

その言葉を見るたびに泣けてきます。

もう、苦しい人生は嫌です。

子どもと同じようにしようと何度も考えています。

それと同時に、ご飯を作らなくちゃ、掃除をしなくちゃ、とも考えています。

苦しいから死にたいけど、現実に引っ張られて、でも苦しいし、でも現実があるし、と、両極端に引っ張られて、本当に疲れています。

何を聞いても見ても自分が責められている気がするし、

でも、残っている子どもに頼られると私がやらなくちゃと思ったり。

…疲れました。

2020年9月1日 20:27

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「苦」とは何か

ご相談拝読しました。心身ともに本当にお疲れの事とお察しします。一人で抱えるしかなく、ぶつけたり、委ねたり、シェアしたりと頼る相手や場がないとしんどいですよね。

さて、

>『人生は苦だ』

と学ばれました。先に藤本先生がご指摘されていますが、仏教で言う「苦」とは「〔業(行い)・縁(条件)に条件付けられていることによる〕不満足性・不完全性」というような意味です。平易に言えば「思い通りにならない」ということです。
これが仏様が目覚めた一つの真理、つまりは誰にでも当てはまる事実ということです。
ですがこれで終わりではありません。仏様は苦には原因があり、苦を滅する道と滅した境地があるとも説きました。

思い通りにならないことは確かに主観的に苦しいことですが、その事実に目覚めるならば苦しみが単なる苦しみのままに留まっていることはなくなるのではないかと思います。
お子様が亡くなった事についての苦しみ・悲しみは尽きねども、そこから人生への深さが展開され、ご自身の存在の事実に目覚めることによる解放感のようなものが苦しみと共存できるのではないでしょうか。

私たちに縁(条件・環境など)は思う通りにできません。生まれた国、時代、家、生まれ持った性格、能力…何一つ選ぶことはできず存在しています。お子様のご命終もこの縁の組み合わせの中から生まれたものです。けしてあなただけのせいではないし、あなたが思う様にどうにかできるものではなかったのです。だから責任から解放されてください。

そしてそこからもう一歩。全ては縁によるのは事実ですがこれが運命論ではありません。運命論には全て決まってしまっているという虚しさがあります。責任はなくともそこには絶望しかありません。

仏教の業・縁起論はそうではありません。思い通りにはならないけれど、しかし私に起こることは私の業(行い)と全くの無関係ではないのです。そこに主体性が認められます。

解放された責任をもう一度主体的に背負い直すのです。あなたのせいではない、でもあなたと無関係ではない。矛盾するようなものが共存する、それが人間です。軽やかさと重みを両方持てるのです。現実と妄想の狭間で揺れてもいいのです。

あなたはあなたで。代わりはきかないあなたを生きてください。あなたにとってのお子様がそうであったように。

2020年9月2日 10:51
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

人生は苦だから、安心してください

人生は苦なので、やってきた目の前の苦に一つ一つ反応し、対処していれば、それだけで生きていられます。
「人生は苦」だと判明したら、安心できるのです。
人生は苦だというわかりやすい現実から目をそらさないで。
夏は暑い。その現実を受け入れて、夏バージョンの生活をすれば、夏は乗り切れます。
暑さから目をそむけて冬のファッションで生活しようとすると、余計な苦労が増えます。
「お腹が空いた」という苦しみが来たら、食べればよい。
「便を出したい」という苦しみが来たら、トイレに行けばよい。
「料理をつくらなきゃ」という苦しみが来たら、料理にとりかかればよい。
「冷蔵庫を開けなきゃ」の苦が来たら冷蔵庫を開け、
「野菜を持ち上げなきゃ」の苦が来たら野菜を引っ張り、
「水を出さなきゃ」の苦が来たら水道レバーを操作すればよい。
瞬間ごとに、場面場面で、モグラたたきゲームのように、出てきた苦しみに反応していけば良いだけ。
どんな複雑な物語の映画でも、動画の1コマ1コマごとは、単純な動作しかしていないのです。
瞬間ごとに浮かんでは消えていく「今・ここ」を気楽にアドリブで過ごしましょう。

2020年9月2日 22:56
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

苦は客観的真理、苦しいは主観的苦しみ

 スマナサーラ長老の本『苦の見方』とかyoutubeの説法で私も初めて気づいたのですが、苦という真理は、「不完全」という意味です。自分はもちろん、周りの人々や関係も、世の中の物事はどうやっても完璧はないなあ、不完全だなあ、と、客観的に分かることが苦という真理です。
 実際には、「苦しいなあ」とか「楽しいなあ」などと主観的に感じながら、苦しいことでも楽しいことでも、何とか客観的にこなしています。この日常が、そのまま苦(不完全)の真理を実際に味わっているということなのです。気づいていませんけど。
 どうせ生きている間の仕事や用事は毎日たくさんあり、これまでこなしてきたように今後もこなさないといけないので、「苦しいなあ」と思いながらこなすよりは、「楽しいなあ」は無理としても、「まあ、これは今やるべき仕事だからやります」と、客観的に、感情を交えずこなしたほうが、苦しいよりは楽だと思います。
 自分も、せっかく人間に生まれて死ぬまでの間に、ただ楽しいとか苦しいとか感情で振り回されるだけでなく、苦(不完全)は真理だなあと、客観的に生きてみる。縁ある周りの生命に対しても、「まあ、今世で縁があったんだから面倒見ます。心配してあげます」と客観的に関わりを持つ。
 そうすると、苦しみよりは、少しは苦しくない生き方になると思います。主観的な愛着ではなく、客観的な慈悲の気持ちで、とりあえず今世で縁がある生命と関わりながら自分も生きるのです。

2020年9月2日 9:36
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

質問者からのお礼

とても親切なお言葉をたくさんかけてくださり、ありがとうございました。
まだまだ『苦しさ』で心の中が満杯な状態です。
これ以上は何も背負えない状態です。
ですが、いつかアドバイスをくださったように考えられる日が来るかもと思いながら生活をしていきます。
ありがとうございました。

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