死
外敵の脅威に晒されず、田畑をのんびり耕し、子どもは伸び伸び育ち、ご近所さんや家族仲間と笑いあい、物々交換しあっていた日の差す日本が羨ましい。
もうその頃の善意良心、温かみだけで成り立っていた世には戻れない。
「安楽死」の言葉、なんて魅力的。「安楽」が布団の中でぬくぬくすやすや眠るイメージ。
しかしやる事は自殺。それも他人様に殺人の罪を被せるわけだから制度として確立されるわけがない。
死ぬのは怖い。それでも知りたいのは自分の死期。委託殺人があった、制度が出来たら死ななきゃダメなの?みたいなクソ漫画もあった、海外と日本の考えが全く違うのも分かる。
希望は内側から開けられない、逃げられないカプセルの中に入り、瞬殺するガスのボタンを自らの手で押す。処理だけはお願いしておく。これが理想、これなら誰も悪くない。
自分の死期はここまでって選択として握っていたい。安楽死制度がもし出来たら私の守りになる。今より熱がきっともてる。明確なそこで死ぬというゴールが欲しい。
某占い師ばりに寿命を断言してほしい。
死期の知り方を教えてください。
芯を再構築中
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
質問以前に
こんにちは。
回答僧とあなたのやり取りを拝見しました。
あなたは、お礼コメントの中でこう書いていますね。
「お坊さん好みの質問を考えるのは無理です。心にも無い謝罪をありがとうございました」とあります。あなたのその頑なな姿勢がとても残念です。
ここは、言葉のやり取りをしながら、悩みを解決したり、人間的に成長しようとする人同士のやり取りで成り立っている場です。言葉には発する方と、受けとる方で認識の違い、すれ違いが常にありえます。相手の意図をきちんと汲み取っているだろうか、自分の早とちりではないだろうか、学ぶべきところがあるのではないか、そういう謙虚な姿勢で臨むべきではありませんか。
あなたもそうでしょうが、回答僧の皆さんは自分の人生の時間を削って、あなたの問に応えようとしているのです。それは、あなたにとって不本意だったり、不足だったりするのかもしませんが、「心にも無い謝罪」などと回答者の心まで拒否するのは感心しません。では逆に問いますが、あなたは本当に回答僧の心を汲んで、返信のコメントを書いたのですか。
わざわざ、時間を割いて回答してくれた相手への感謝、相手の意図を汲もうとする努力、自分の至らなさへの顧慮。
色々なことをあなたは質問の中で問うていますが、その前に、まず自分の回答僧への向き合い方自体を自分に対して問うことから始めたほうが宜しいのではないですか。
頑なな殻の中には、何も入っていきませんよ。
自分で殻を少しでも破って下さい。
【追記あり】無知の知を
ご相談拝読しました。
確かに今の時代は色々あって生きづらいかもしれませんが、昔は昔で色々あったはずです。けして善意良心、温かみだけで成り立っていたわけでもないでしょう。
さて、死期を知りたい、また、安楽死の権利を握っておきたいとのこと。
残念ながら分からないものは分からないし、得られないものは得られません。それでももがくのは余計に苦しいかもしれませんね。
それに果たして死がゴールなのかどうか。ではスタートはいつなのか。あなたはどこから来たのか。いつ、どこからがあなたのスタートなのか。もしかしたらまだスタートも出来ていないのかもしれません。
あなたが本当にあなたとして始まるには、あなたのご縁を引き受けなければならないのかもしれません。
【追記】
ご気分を害してしまいごめんなさい。たとえ話も妄想もあなたの自由です。それを拒否するのではありません。
しかし、妄想はどこまで延長しようが妄想です。その妄想から事実としての苦しみを得るならば、妄想は妄想と受け止めた方が良いのでは?という提案でした。あとはあなた次第です。あなたがどう生きるかは私にとってでなくあなたにとってこその問題なのですから。死は思い通りになりません。死の恐怖もやはり同様です。死期を知ることは出来ませんが、知ったら知ったなりの弊害が必ずあることでしょう。
「どう生きるか」はとても大切な問いですが、その問のもっと底にある「なぜ生きるか」という根本問題の前にあなたが揺らいでいるからこそ「死」を何とかしたいと思うのかもしれません。
縁を引き受けるとは思い通りにならないこと、つまりは他ならぬあなた自身を引き受けることです。あなたを織り成す無数の縁を。あなたが排除したいものすらもあなたを成り立たせる縁の一つです。
【再追記】
他の回答が沢山入りましたし、かみ合わないのでこれでやめます。
あなた「死期を知りたい、安楽死したい」
私「そうですね」
で済むような相談だったのでしょうか。死を希求するほどの苦しみにあるからこその相談なのだと感じていました。あなたのその苦しみに対し正論に感じる、つまりは受け止めがたい回答をしてしまったのは私の力不足です。
しかし、「回答からヒントを得る」というのが「自分の感情が満足する」というものならば、それは苦しんでいる自分の価値観の範囲内でグルグル回るに過ぎません。
ムリ
外界の影響を受け流す
拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。
今の現実に絶望をなされているのでしょうか。
結論から申し上げますと
「人間は、完璧ではありません。そんな人が死期など分かることができないんですよ」
ただ「死」というのは、苦悩から開放する方法の一つであるのかもしれません。
しかし悩み苦しんでいる人に共通していることなんですが、
「苦悩の原因は、外界の問題にあり、その外界の問題がどうにもならないから死を選ぶしかない。」
と考えてしまう人がとても多いです。
しかし人は、外界を「心」を通してみることで、苦しみや喜びを感じています。
例えばある日、ほしかった物をプレセントされたとします。しかし次の日にまた同じ人から同じ物をプレセントされたとします。そして毎日同じ人から同じものを貰ったらどうでしょうか。きっと毎日新鮮な気持ちで喜ぶことができません。
毎日同じ現象が起こっているのに、毎日心の反応が違うんですよ。
つまり心というのは、外界の現象に対して自分の記憶や思い通りにしたい気持ちなどによって左右されるのです
しかし思い通りにしたい気持ちや記憶に振り回されずに受け流しコントロールする方法があります。
この受け流す方法を「セルフコントロール」と言います。
このセルフコントロールができると、外界の現象を受け流すことができ、さらに外界のあらゆる現象を力に変えて前に進むこともできます。
ただセルフコントロールを覚えるには、時間がかかります。
この手間を考えるなら「死」を選ぶと言われてしまうと何も言えないのですが、ただ外界の影響にたいして心が左右されない心境というのは、とても心地の良い心境です。
外界の影響に振り回されて死を選ぶか、それとも外界の影響を力に変えて死の瞬間まで生き生きと生きたいか。
ただ一つ言えることは、心とうまく付き合えた人のみ本当の幸せを手にいれることができると思いますよ。
またお悩みごとがありましたら、ご相談お待ちしております。
質問者からのお礼
(編集部より。お坊さんは身元や所在地も明かして、相談者様に一生懸命寄り添う努力をされています。文章のやり取りの中で貴方の意に反する回答があるかもしれません。すれ違いもあるかもしれません。ネットのやりとりでも、その奥には人がいます。hasunohaは人と人がお互いに尊重できる場を目指しています。反対意見ももちろんかまいませんが、表現にはご配慮をお願いします。
回答者であるお坊さんにも配慮がないと事務局が判断した回答は、公平に配慮をお願いしています。)
吉武さん、回答ありがとうございます。
だったら良いなみたいな只の例えも拒否断絶、あげく分からんものは分からん、無知だ!と言われると、ど正論なんですがより迷います。
結局全ては自分がどう生きるかで、肉体物質さえなければ悩みの殆どが無くなるかと。縁を引き受けるという意味の方こそ知りたかったです。
返事をくれたという行為のみに感謝します。
妄想空想、思考の堂々巡りの苦しみ。自身の揺らぎ、そんなの自覚した上での質問でした。必ず死は訪れるから自ら引導を渡すのも良いなというだけです。回答から少しでもヒントを得ようとしたのが愚かでした。
自分の問題だと言ってる人間に「私にとってでなく」とは?吉武さんに対して質問したわけではないのに。後出しで提案とか言われても…。とりあえず回答して妄想だ!は正論ですけど。そもそも妄想は自由だけど拒否しないって。
お坊さん好みの質問を考えるのは無理です。心にも無い謝罪をありがとうございました。