hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

回答数回答 4
有り難し有り難し 219

外敵の脅威に晒されず、田畑をのんびり耕し、子どもは伸び伸び育ち、ご近所さんや家族仲間と笑いあい、物々交換しあっていた日の差す日本が羨ましい。
もうその頃の善意良心、温かみだけで成り立っていた世には戻れない。

「安楽死」の言葉、なんて魅力的。「安楽」が布団の中でぬくぬくすやすや眠るイメージ。

しかしやる事は自殺。それも他人様に殺人の罪を被せるわけだから制度として確立されるわけがない。

死ぬのは怖い。それでも知りたいのは自分の死期。委託殺人があった、制度が出来たら死ななきゃダメなの?みたいなクソ漫画もあった、海外と日本の考えが全く違うのも分かる。

希望は内側から開けられない、逃げられないカプセルの中に入り、瞬殺するガスのボタンを自らの手で押す。処理だけはお願いしておく。これが理想、これなら誰も悪くない。
自分の死期はここまでって選択として握っていたい。安楽死制度がもし出来たら私の守りになる。今より熱がきっともてる。明確なそこで死ぬというゴールが欲しい。

某占い師ばりに寿命を断言してほしい。
死期の知り方を教えてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

質問以前に

こんにちは。

回答僧とあなたのやり取りを拝見しました。

あなたは、お礼コメントの中でこう書いていますね。

「お坊さん好みの質問を考えるのは無理です。心にも無い謝罪をありがとうございました」とあります。あなたのその頑なな姿勢がとても残念です。

ここは、言葉のやり取りをしながら、悩みを解決したり、人間的に成長しようとする人同士のやり取りで成り立っている場です。言葉には発する方と、受けとる方で認識の違い、すれ違いが常にありえます。相手の意図をきちんと汲み取っているだろうか、自分の早とちりではないだろうか、学ぶべきところがあるのではないか、そういう謙虚な姿勢で臨むべきではありませんか。

あなたもそうでしょうが、回答僧の皆さんは自分の人生の時間を削って、あなたの問に応えようとしているのです。それは、あなたにとって不本意だったり、不足だったりするのかもしませんが、「心にも無い謝罪」などと回答者の心まで拒否するのは感心しません。では逆に問いますが、あなたは本当に回答僧の心を汲んで、返信のコメントを書いたのですか。

わざわざ、時間を割いて回答してくれた相手への感謝、相手の意図を汲もうとする努力、自分の至らなさへの顧慮。

色々なことをあなたは質問の中で問うていますが、その前に、まず自分の回答僧への向き合い方自体を自分に対して問うことから始めたほうが宜しいのではないですか。

頑なな殻の中には、何も入っていきませんよ。
自分で殻を少しでも破って下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
このお坊さんを応援する

【追記あり】無知の知を

ご相談拝読しました。

確かに今の時代は色々あって生きづらいかもしれませんが、昔は昔で色々あったはずです。けして善意良心、温かみだけで成り立っていたわけでもないでしょう。

さて、死期を知りたい、また、安楽死の権利を握っておきたいとのこと。

残念ながら分からないものは分からないし、得られないものは得られません。それでももがくのは余計に苦しいかもしれませんね。

それに果たして死がゴールなのかどうか。ではスタートはいつなのか。あなたはどこから来たのか。いつ、どこからがあなたのスタートなのか。もしかしたらまだスタートも出来ていないのかもしれません。

あなたが本当にあなたとして始まるには、あなたのご縁を引き受けなければならないのかもしれません。

【追記】
ご気分を害してしまいごめんなさい。たとえ話も妄想もあなたの自由です。それを拒否するのではありません。
しかし、妄想はどこまで延長しようが妄想です。その妄想から事実としての苦しみを得るならば、妄想は妄想と受け止めた方が良いのでは?という提案でした。あとはあなた次第です。あなたがどう生きるかは私にとってでなくあなたにとってこその問題なのですから。死は思い通りになりません。死の恐怖もやはり同様です。死期を知ることは出来ませんが、知ったら知ったなりの弊害が必ずあることでしょう。

「どう生きるか」はとても大切な問いですが、その問のもっと底にある「なぜ生きるか」という根本問題の前にあなたが揺らいでいるからこそ「死」を何とかしたいと思うのかもしれません。

縁を引き受けるとは思い通りにならないこと、つまりは他ならぬあなた自身を引き受けることです。あなたを織り成す無数の縁を。あなたが排除したいものすらもあなたを成り立たせる縁の一つです。

【再追記】
他の回答が沢山入りましたし、かみ合わないのでこれでやめます。

あなた「死期を知りたい、安楽死したい」
私「そうですね」

で済むような相談だったのでしょうか。死を希求するほどの苦しみにあるからこその相談なのだと感じていました。あなたのその苦しみに対し正論に感じる、つまりは受け止めがたい回答をしてしまったのは私の力不足です。

しかし、「回答からヒントを得る」というのが「自分の感情が満足する」というものならば、それは苦しんでいる自分の価値観の範囲内でグルグル回るに過ぎません。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

ムリ

"自分の死期はここまでって選択として握っていたい"
"明確なそこで死ぬというゴールが欲しい"

そいつは贅沢な話だ。

hasunoha.tenrakuin@gmail.com

{{count}}
有り難し
おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
このお坊さんを応援する

外界の影響を受け流す

拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。

今の現実に絶望をなされているのでしょうか。

結論から申し上げますと
「人間は、完璧ではありません。そんな人が死期など分かることができないんですよ」

ただ「死」というのは、苦悩から開放する方法の一つであるのかもしれません。

しかし悩み苦しんでいる人に共通していることなんですが、
「苦悩の原因は、外界の問題にあり、その外界の問題がどうにもならないから死を選ぶしかない。」
と考えてしまう人がとても多いです。

しかし人は、外界を「心」を通してみることで、苦しみや喜びを感じています。

例えばある日、ほしかった物をプレセントされたとします。しかし次の日にまた同じ人から同じ物をプレセントされたとします。そして毎日同じ人から同じものを貰ったらどうでしょうか。きっと毎日新鮮な気持ちで喜ぶことができません。

毎日同じ現象が起こっているのに、毎日心の反応が違うんですよ。

つまり心というのは、外界の現象に対して自分の記憶や思い通りにしたい気持ちなどによって左右されるのです

しかし思い通りにしたい気持ちや記憶に振り回されずに受け流しコントロールする方法があります。

この受け流す方法を「セルフコントロール」と言います。

このセルフコントロールができると、外界の現象を受け流すことができ、さらに外界のあらゆる現象を力に変えて前に進むこともできます。

ただセルフコントロールを覚えるには、時間がかかります。

この手間を考えるなら「死」を選ぶと言われてしまうと何も言えないのですが、ただ外界の影響にたいして心が左右されない心境というのは、とても心地の良い心境です。

外界の影響に振り回されて死を選ぶか、それとも外界の影響を力に変えて死の瞬間まで生き生きと生きたいか。

ただ一つ言えることは、心とうまく付き合えた人のみ本当の幸せを手にいれることができると思いますよ。

またお悩みごとがありましたら、ご相談お待ちしております。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

(編集部より。お坊さんは身元や所在地も明かして、相談者様に一生懸命寄り添う努力をされています。文章のやり取りの中で貴方の意に反する回答があるかもしれません。すれ違いもあるかもしれません。ネットのやりとりでも、その奥には人がいます。hasunohaは人と人がお互いに尊重できる場を目指しています。反対意見ももちろんかまいませんが、表現にはご配慮をお願いします。
回答者であるお坊さんにも配慮がないと事務局が判断した回答は、公平に配慮をお願いしています。)

吉武さん、回答ありがとうございます。
だったら良いなみたいな只の例えも拒否断絶、あげく分からんものは分からん、無知だ!と言われると、ど正論なんですがより迷います。
結局全ては自分がどう生きるかで、肉体物質さえなければ悩みの殆どが無くなるかと。縁を引き受けるという意味の方こそ知りたかったです。
返事をくれたという行為のみに感謝します。

妄想空想、思考の堂々巡りの苦しみ。自身の揺らぎ、そんなの自覚した上での質問でした。必ず死は訪れるから自ら引導を渡すのも良いなというだけです。回答から少しでもヒントを得ようとしたのが愚かでした。

自分の問題だと言ってる人間に「私にとってでなく」とは?吉武さんに対して質問したわけではないのに。後出しで提案とか言われても…。とりあえず回答して妄想だ!は正論ですけど。そもそも妄想は自由だけど拒否しないって。

お坊さん好みの質問を考えるのは無理です。心にも無い謝罪をありがとうございました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ