hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お世話になった方の死から立ち直れません

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

誰に相談したら良いのかわからず、死について色々調べていたところこちらのサイトを見つけました。

昨年、3年ほどお世話になっていた美容師さんが急逝されました。
特別親しかったというわけではないのですが、友人にも話せないような深いことを打ち明けられる唯一の存在で、私にとって大きな心の支えとなっていた方でした。
接客業独特の愛想笑いなどもせず、ご自身の率直な意見を忖度なしにズバッと言ってくださる一方、押し付けがましくないさりげない気遣いをいつもしてくださる方で、人間としても非常に尊敬していました。
私の人生に沢山の影響を与えてくださった、本当に素敵な方です。

お店で訃報を聞いたときは、衝撃で頭が真っ白になりました。
同年代かつ日頃お世話になっている人の突然の死を経験したのが初めてで、これまでに感じたことのないような物凄いショックと悲しみでいっぱいになりました。
亡くなってからまもなく1年が経ちますが、悔しさと悲しさが溢れ出して、いまだに心の整理がついていません。
今でも声を上げて泣くことがあります。

昨年末、ご遺族へお手紙や追悼の品をお送りさせていただけないか店長さんに一度ご相談したことがあったのですが、ご両親は普通の生活を送るのもままならず、息子さんの死も受け入れられていない状態とのことで断られてしまいました。
美容師さんに対して何もすることができず、ずっとモヤモヤしています。

まとまりのない、拙い文章で申し訳ございません。
長くなりましたが、ご相談したいのは下記の2点です。

・本来であればご実家の仏壇やお墓までお参りをしたいぐらいですが、ご遺族のことを考えるとなかなか難しそうなので、自分でもできる供養の仕方を教えていただければと思います。
また、命日付近に美容院に行こうと思うのですが、何かお店に対してできることはありますか?

・今も悲しさでなかなか立ち直ることができません。
親族や友人が亡くなった場合と異なり、その人のことを知っているのが自分しかおらず、悲しみを周囲の人と共有できないのも辛いです。
自分の気持ちを話しても、「なんで他人の死にそんなに悲しむの?」みたいな反応をされてしまい悲しくなります。
また、写真を持っているわけでもないので、いつかはその人の顔や声を忘れてしまいそうなのがとても怖いです。
今後どのような心持ちでいればよろしいのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お気持ちの優しさが伝わります。

ご質問拝読いたしました。
読んでいて感じたのは、
お気持ちが優しい方だな
ということです。
身近な方、
それも頼りにしていた方が
亡くなるというのは、
衝撃以外の
何ものでもありませんよ。
深く心に大きな穴が、
空いてしまう。
その人との距離なんて、
第三者には計り知れませんよ。
人の命の切なさや、
儚さを噛みしめてください。
失くすことのわかる人は
人に優しくできる人です。
いまの気持ちをどうか、
大切になさってください。

御供養とはおもてなしです。
相手のことを
思いやる気持ちです。

お世話になりました!
あの時は救われました!
本当にありがとうございました。

心の中で繰り返し、
繰り返し唱えてください。

一念三千という言葉が
ございます。
あなたの思いが、
世界中に響き渡る、
という意味です。

もうあなたの思いは、
恩人の方に十二分に、
通じていますから。

大丈夫!
信じてください。

あの方の、
ありがとう!
という笑顔が見えませんか?
愚僧には見えましたよ。

喜んでいらっしゃいますよ。

相談されがいがあった。
応えてよかった。

そう思っていらっしゃいますよ。

恩人に対する恩返しは、
あなたが精一杯に生きること。

明るく
元気に
清々しいいきてください。

ご活躍を祈念しています。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

花山雲吉さま
お礼が遅くなり大変申し訳ございません。
大変温かいお言葉誠にありがとうございました。
拝読していて涙が止まりませんでした。
今まで自分には何もできていないのではないかともどかしく感じていましたが、お言葉をいただいてだいぶ心が救われました。
これからも心の中で沢山話しかけるようにしたいと思います。
また、今回の経験で感じたことを一生大事にしていきます。

このたびは質問に向き合っていただき、心より感謝申し上げます。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

母の死に冷静すぎる自分が嫌になる

昨日母が亡くなりました。いわゆる孤独死みたいな状況でした。きっと最後は辛かったと思います。かわいそうです とはいえ、私は仕事の日程とか諸費用とか手続きとかそんなことばかり考えています。あと趣味の大会の日程調整とか。 それなりには悲しいけどそれなりです。母の身になって考えればかわいそう、というだけで、私自身の悲しみとは違う気がします。もともとあまり関係が良好ではなく成人してからは不仲でした。しかし子供の頃には良い思い出もあるというのに。 自分自身にがっかりしてます。何でこんなに冷たいんでしょう。我ながらなんかおかしいんじゃないかと思ってます。 母の生前は苦しかったろうし寂しかったろうと思いますが、死んだらそれまでだなあと思うのが本音です。 浄土真宗の人だったので、仏様がいるとすれば阿弥陀仏が死後のことはなんとかしてくれるでしょ、みたいななげやりな気持ちもあります。母は駄目な人でしたが、そういう人でも、家族にろくに供養されなくても、阿弥陀仏はなんとかしてくれるって聞いてます。生前一度でも南無阿弥陀仏と唱えれば仏様との縁が結ばれて、すべての衆生を救いたい阿弥陀仏の本願によって西方浄土につれてってもらえるんですよね? もう私は供養とか関わり合いになるの嫌だ。 私もきっと一人で苦しい思いをしてのたれ死ぬんだろうなあと思います。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

生きるということがわからなくなりました

5人兄弟の末っ子です。先日兄が死にました。6歳上の兄です。俳優に憧れ、戦隊ヒーローの俳優になるからと上京したものの、所属した劇団の人に騙されて借金を背負い、返済のために企業に就職したもののギャンブルにハマりさらに借金を大量にこさえて首が回らなくなった結果、自分で首を吊りました。寒い冬の日でした。 それ以来私の中の死生観が変わってしまいました。人は突然死ぬ、居なくなる、と気づいてしまいました。私も明日また目が覚める保証なんてないと思うようになり、眠れなくなりました。 明日の約束が、友人や家族としにくくなってしまいました。だって目が覚めるかわからないのです。守れない約束をして、困らせたくありません。 将来のことも分からなくなってしまいました。行きたい大学がありました。でもそこに通うには上京しなくてはいけません。両親は、兄のこともあってか私を実家から離れさせたくはないようで家から通える大学にしなさいと言われてしまいました。もともと勉強することは好きだったのに、身に入らなくなってしまいました。事情を知らない学校の先生には出来もしないのにこの大学に行きたいなんて言わないでちょうだいと怒られてしまいました。私だって行きたくはありません。行けるかもわかりません。 自分でスクールカウンセラーに相談もしてみましたが、兄のことを話すと母が可哀想だと泣かれてしまいました。私の相談そっちのけで母の心配をされました。私を心配して欲しいわけではなかったのですが、私の話はあまりきいてもらえませんでした。 やりたいことがわからなくなりました。生きなきゃいけない理由もわからなくなりました。 上の兄は、死んだ2番目の兄の分まで生きなきゃと言っています。姉2人は一周忌までは生きてみようと思う、とよく言っているのですが、私にはよくわかりません。だって自分ではそう思っていても明日には身体が勝手に死んでるかもしれないのに。 父にも母にも相談が出来ません。相談する時にどうしても兄のことを話さなくてはいけないからです。辛い思いさせてごめんねと泣かれてしまって、それ以上話がすすまないのです。 人の生きる意味ってなんなんでしょう。どうして突然死んでしまうんでしょう。兄の場合は突然死とは少し違うのかもしれませんが…。結局死んでしまうなら、最初から産まれない方が良かったのではないかと思っています。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

20年 二人暮らしだった母

初めてこのサイトを見つけました。 こらえていた気持ちを、書き連ねてしまいそうです。 母は、楽しいことが大好きな人でした。 難病がありましたが、アルツハイマーの併発・進行の為、 家での私の付き添いが厳しくなり、認知症病棟へ入院。 2か月でベットから車いすに行けなくなり、 さらに2か月でどんどん食事がとれなくなり、なくなりました。 入院させたときはあんなに大声出せたのに、、腕もブンブン振り回せたのに。 病のあった父と 育ち盛りで気難しい子を、働きながら支えてくれました。 父がなくなったあと、母65才の時から2人で暮らし始めました。 気分屋の母で、本当は水と油な親子だけど、2人でケンカしつつも暮らしてきました。 20年間。 母が歩けるときも、車いすになっても一緒に外出しました。 どこに行けば喜ぶか、一生懸命考えました。 一人で立ち上がりできなくなり、でも介護度を上げることは嫌がりました。 色んなことがあったのに、思い浮かべると 世の中ではきっとよくある事ばかり。 自分の視野の狭さ、忍耐のなさ、逃げ回ってしまった愚かさ。一人の部屋。 母を追い込んだ病院に夜中に行って、首吊ってやろうという気持ちが 顔をだしたりします。 でも、病院に入れたのは私です。 母は生きたかった。短いかもしれないけど、少なくともその時が死ぬとき、じゃなかった。 リハビリ受けてやる気満々!な母をだまして入院させてしまった。 在宅最後の2か月だけ家に来ていただいたヘルパーさんに 「まだ生きてていい?」って言っていたそうです。 お母さんを殺した私はどうすればいいんだろう。 精神科は母がなくなる1か月前から通っています。 「とにかく眠ること。休むこと。」そのための薬を出してくれます。 でも、悪夢で寝るの怖いんですよね。 知らない男女が、「大丈夫、いま楽にしてあげるからね」と言ってわたしの首にネクタイを巻こうとする。 知らないおじいさんが、私を押しつぶそうとする お母さん、ごめんなさい ごめんなさい 私は今54才。 お母さんの年まで30年。長すぎる。寂しすぎる、 お母さんに会いたい。謝りたい。仲良くしたい。 何を見ても、外を歩いても、何も感じない。 早く迎えに来て。お釈迦様おねがいします。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

家族を失いました。

義父が高齢な為、私たち家族は横浜から義父がいる埼玉に引越し義父と同居を始めました。 義母は20年以上前に病気で他界しています。 昨年11月11日が同居していた義父が急逝してしまいました。 義弟は近くに住んでおり 腎不全を患い透析受けていましたが昨日、透析に来ていないと病院から連絡があり、義弟に連絡してもでない為、急いで義弟の自宅へ行きましたが、部屋でうつ伏せで亡くなっていました。 今、義弟は私たちが住んでる家に連れて帰ってきています。 義父が亡くなってから、もう誰も失いたくない。失うのが怖くて仏様、神様には毎日欠かさずお供え、お祈り、神棚の掃除、仏様の掃除は月に2回掃除してましたが なのになんで大切な人ばかり失ってしまうのか気持ちに整理が付きません。 犬を飼い始めてから親族が次々と亡くなっている気もします。 隣の人のお宅に足を踏み入れたから亡くなってしまったのかな? 私が来たから亡くなってしまったのかな?など色々考えてしまいます。 生きていくのが怖くて仕方なく もうこれ以上、大切な人を失いたくありません。 この先、どんな気持ちで生きていけばいいでしょうか? 回答宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

死んだ方がいいという気持ちが消えない

数年前、自宅介護していた祖母を看取りました。 デイサービスを活用しつつ、家族で頑張っておばあちゃんが無理せず過ごしやすいように介護していたつもりでした。 ですが亡くなった後、介護職の親族に、 「やっていることが介護ではなくネグレクトだった」 「おばあちゃんを殺した」 「良い施設に入れてあげたかった」 と言われました。 祖母を亡くした悲しさに勢い余っての発言の面もあり「そんなことはない」と思ってはいます。 ですが、一方で「介護のやり方が間違っていたのでは」「私達が祖母を殺してしまったのでは」「他の親族もずっとネグレクトをしていた思っていたのでは」という気持ちが心から立ち消えません。 この騒動の他、さまざまな心労が重なり仕事を辞め、現在は不安障害の診断をもらってメンタルクリニックに通っています。 服薬と休息のおかげで落ち着いている時間も多くなりましたが、やっぱり『祖母を殺してしまった』という不安はなくなりません。 行動を起こすまでには至ってませんが、殺してしまったという言葉が尾を引いて「死にたい」「自分なんて死んだ方が良いのでは」という気持ちがずっとあります。 距離的には、隣で肩を並べているくらい近くに居ます。 この話を誰かに話すと、大抵の人は私たち家族は悪くないと言ってくれます。 でも、私に気を遣ってそう言ってくれているだけで、本職の人が見ればネグレクトだったのではと、優しさを受け取れないでいます。 ここ数年ずっと穿っている生傷のような話です。 何かお言葉をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

自分が原因で祖父が亡くなった

私は、祖父・祖母・父・母・弟の6人家族で住んでいました。 2022年頃に祖父が腰の骨を折り、あまり体が動けなくなりました。 2022年の年末に、私・母・弟がコロナに感染し、祖父の体の状態を確認できませんでした。 2023年2月、祖父は呂律が回らず、寒気がして、体温も低かったので、「病院に行こう」と勧めたのですが、「大丈夫」と言って病院には行きませんでした。この時、ものすごく気温が低くて、祖父は防寒対策をしていませんでした。 その数日後、祖父は倒れ、体が震えて、低体温、不整脈になり、救急車を呼び病院に行きました。その時、病院の先生は助からないかもしれないと言ったのですが、なんとか祖父は一命をとりとめました。 しばらく祖父は入院していました。 祖母は認知症で、家に帰ってこない祖父を心配して、母・父・私に同じことを何回も聞いてきました。私と父は祖母の認知症には耐えられていたのですが、母が60代で足腰が悪いこともあり、もう介護するには限界なので、祖母を施設に入ってもらおうと考えました。 2023年5月に祖父は退院。 祖父は、あまり食べられず、腰も痛いので、体を動かすことができず、ほぼ寝たきりでした。 寝たきりの祖父と認知症の祖母、二人の介護を母がするのは難しいので、祖父にも施設に入ってもらうようにお願いしました。祖父、祖母と話し合い、施設に入ってもらいました。施設に入所後、時々、祖父と祖母に会いに行っていました。 ところが、2023年12月に、祖父の容体が急変、病院に入院。 肝硬変、総胆管結石、肝不全になり、 2024年1月、いつ心臓が止まるかわからないので、会いにきて欲しいと病院に言われ、祖父に会いに行きました。 その翌日、祖父は亡くなりました。91歳でした。 葬儀を終え、四九日も終え、今に至ります。 どうして祖父は亡くなったのか、 祖父が腰を痛めた時、もっと気にかけてあげられたもしれない、 祖父が最初に入院する前の体調を悪くした時、もっと体の状態を見てあげられたらよかったのに、その時、強引に病院に行かせたら、症状が悪くならずに済んだかもしれない、 ほぼ寝たきりの祖父を老人ホームに入れるのはかわいそうで、よくなかったのではないか と祖父を死なせてしまった原因が自分で、自分を責めてしまいます。 これから私はどうしていけばよいのでしょうか?よろしくお願いします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ