自分だけ誘われなかった時
私にはとある趣味がありサークルに所属しています。
そのサークル内はとても仲が良いと思っていたのですが、たまに参加するとある一人の女性メンバーに対してモヤモヤしてしまいます。。
例えば…
・活動後にみんなで帰宅する際、途中で私だけ道が分かれるのですが、私と分かれた後でその女性メンバーによる声かけで他のメンバーみんなで食事に行く(分かれた直後にその近辺で食事する)ことがある。後で何かのきっかけで知って「行きたかったな〜」と言うと、皆んなに笑って流される。
・その女性は別サークルを運営しており、そこでの活動に私以外のメンバー数名が誘われる(今度参加したいとその女性メンバーに伝え、いいよと言われつつも、誘われないです)
その女性とは特に確執もなく、会って話している時は普通ですし、私からは活動に声をかけており参加してきています。
なのでなぜそのような対応をされるのか分からず、本当は嫌われているのか?そもそもサークルメンバーからも嫌われているのではないか?その女性メンバーの仲間から嫌われているのではないか?私の気にしすぎか?などいろいろ考えてしまい、他のサークルメンバーに対しても不信感が芽生え始めてしまいました…。(食事については子持ちなので敢えて声をかける流れにならなかったのかな?等深読みしてしまいます)
今のサークル活動はとても楽しく、そのことさえなければサークル内で何も気になることはなかったので、これからもうまく付き合っていきたいと思っています。そんな時どういう気持ちで、どう対応するのが良いのでしょうか。ご助言頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
好かれようとする心が苦しめている。
拝読させていただきました。
ころすけさんの文面の中に答えがありましたね。
「とても仲が良いと思っていた」
この思考が「求めるという欲」を支配しているのです。
人はどうしても仲間ができると誘われたりしないと、仲間外れと思いがちでありますが、本当に"その"食事やサークルに行きたいと思っていますか?もしくは、仲間とだから行きたいと思っていますか?仲間外れになりたくないから行きたくないと思っていますか?
この三つの原因を集め(集諦)、よくよく考えてみますと、ころすけさんの中で冷静な判断と答えが出てくるのではないでしょうか?
無理に好かれようとしなくても人はいいのです。
グループの人も、その一人の人がころすけさんを何となく呼ばないことを感じているが、口を挟むことで揉める原因を作ることが怖いかも知れません。
人に好かれようとしたり、他人に合わせようとし過ぎると、ご自身の生き方という「心」に負担がかかります。
他人の生き方に時間を取られ、自身の意志に背くような生き方をしていくと、疲れが溜まる一方です。
深く考えてしまう問題です。しかし、人はあらゆる人と出会います。近所の仲間であれば尚のこと、付き合いも外せない、他に友達を作るのにも大変、色々です。
しかし、自身の守るものはもっと身近にないですか?家族というものが。
人に合わせようとしているころすけさんがおられましたら、一旦心と向き合い、少し冷静になることをお勧めいたします。
「下手でもいい、自分らしい人生を歩むことで、ころすけさんにもっと価値観など合った仲間が自然と集まってきますことを」
合掌