祖母の死について。
昨年、祖母が亡くなりました。
91歳で、老衰だとの事でした。… が、亡くなる数年前から 寝たきりになって 認知症もでていて、施設に入っておりました。
六年ほど前に私は実家を出たのですが それまでずっと 同居しており 小さい頃は よく面倒を見てもらいました。
しかし、母との仲が良くなくて、(いわゆる嫁姑問題)で いつも 間に挟まれておりそれが嫌で 成長とともに 自然とあまり 会話をする事もなくなっていました。でも 祖母の事は 好きでしたし大切な存在でした。
施設に入ってからは あまり 訪ねて行くこともせず(少し遠かったので)何年か経ち 亡くなる数日前に訪ねたときにはもう 話も出来ない状態でした。
小さい頃はよく遊んでくれて二人で出掛けたりしていた祖母が まるで別人のようになってしまっていて…
そのまま逝ってしまいました。
もっと、会いにいって いろんな話をすればよかったと今になって後悔しています。
私の事も忘れてしまったままあの世に逝ってしまったのだろうか…と思うととても悲しく涙がとまりません。
認知症のまま亡くなってしまったら どうなるのでしょう?
ちゃんと いろんな事を思い出して 家族を見守ってくれているのでしょうか?
祖母は 会いに行かなかった私を許してくれるでしょうか?
亡くなってから よく夢をみるので そんな事が気になっています。
お坊さん達は どう思われるでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
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忘れてなんていませんよ
まずはお悔やみ申し上げます。
自分もばあちゃんっ子でした。
もう10年以上前になりますが、亡くなった時は大泣きしたものです。
亡くなったことを違う言葉で帰寂と言います。
仏さまのもとからこの娑婆にきて、命を終えてまた帰っていくということです。
誰しも、最初は赤ちゃんです。何もできません。
亡くなる人もそう、ある意味においては何もできない赤ちゃんに戻っていくんです。
ですから、認知症という病名をつけておくよりは、命を全うした一つの証拠と見て欲しいなぁと思います。
こんな話を聞いたことがありませんか?
臓器移植をしたら、その臓器の人の影響(食べ物の好みや記憶)を受けたという…
人は、脳だけで記憶しているんじゃないと自分は思ってます。
脳、体、魂にも刻まれてるんですよ。
その中には必ず孫の相談者さんもいます。
そして、亡くなった自分のことを孫がこんなにも気にかけていてくれている、これほどありがたいことってないですよ(^-^)
どうか、これからもおばあちゃんにその温かな心を配ってあげてください。
亡くなり方は問わない
horeさま、お祖母さまがお亡くなりになられたとのこと、心よりお悔やみ申し上げます。
さて、人の人生は様々です。
その様々な人生、誕生も、成長も、そして命の終わりようもまた様々です。
大切なのはこの生命をいただいた人間が生活の上で仏教に出会い、帰依し、教えに基づく生活が実践出来るかどうか、、、
特に人間として生まれるのは稀であり、せっかく人間に生まれても仏法にであるのはもっと稀である。とお釈迦様は仰られております。
人の命の終わり方は本当にいろいろあります。
元気なままに突然の事故や事件でお亡くなりになる方。
ずっと病とともに人生を歩みお亡くなりになる方。
認知症を患いお亡くなりになる方。
数えだしたらきりがありません。
残った人は、多くが「あの時こうしておけばよかった」とか「あの時もっと優しい言葉をかけておけばよかった」等の後悔の念に心を痛めます。
その懺悔の心と亡き人を偲ぶ心がお仏壇へを私を導くのでしょう。
大丈夫です。
亡くなられたお祖母さまはちゃんと貴女を見てくれています。そばにいてくれています。
貴女は感謝の心をもって仏様に手を合わせていただければそれでかまいません。
貴女の心の悩みが少しでも和らぎますよう。
合掌
質問者からのお礼
お返事 ありがとうございました。
祖母は 私の心の中に ずっといます。
祖母を思い 手を合わせ いつの日か あの世でまた会えると信じています。
ありがとうございました。