辛い経験の意味
突然ですが、お坊様は過去に辛い、どう考えてもマイナスとしか思えない経験をされて、その出来事の意味がずっと後になってわかった、などという経験をお持ちでしょうか?塞翁が馬のようなお話でも、ご自分でなくとも知り合いのお話でも、どんなお話でも何でもいいので、教えて頂けますと幸いです。
私自身、今、辛いというか自分が過去に思い描いていたのとは程遠い現実に直面しており、「これ…耐えることに意味あるのか?」「選択を間違えた?(気がついた時点で早めにやり直すべき?)」と思ってしまうときが多々あるのですが、今後人生で心折れそうになった時に、それを乗り越えるためのご参考にさせていただきたく。(あるいはそもそも起こった出来事は全て偶然、運不運で意味などなく、後付けで意味を考えることに意味がないのかもしれませんが…)
恐縮ですが、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
阿弥陀さまのお救いに出遇うためだったと思えるのです。私はね。
マイナスな経験。。。
そうね〜どうせなら経験なんてしなくても、よかった。したくなかった。そんなことは、数知れず、ありますよ。
それを経験する意味。
きっとあるのでしょうね。
また、意味.答え、を出さなくても、人はどこかで気持ちの整理をするために、納得をしていく。こういう意味だったんだ、こういうことに気付かされた、学んだ、得た、と自分の中で落とし所を見つけるものなのです。
ずっと人生の問いになる人もいる。
経験を重ね、越えていく、すなわち生きていくということは、今までと これからに、意味付けしていくものなんですよね〜人間って。
意味は、何でもいいのかもしれない。
自分が納得できれば。
例えば、私の経験とその意味を知っても、へぇ〜な話だと思うのです。これは私の落とし所だから。
ただ、今こうして、お念仏の日暮らしをさせてもらっているということは、阿弥陀さまのお救いに出遇うためだったと思えるのです。
私の心がストンと落ちて、涙も安心に変わっているのですから。
(壮絶なプライベート経験は、ここでは書けないよね〜みんなが読めてしまうのだから)
今どうするかを常に考えて行動する
こんにちは。
仏教では、今起こったことは、全て過去の行いの結果であるという考え方をします。未来の出来事のために、現在に神様的なものが試練を与えているという考え方ではありません。
とはいっても、どんなつらい事でも、後から考えれば糧になる事はたくさんあります。ああ、あの時は大変だったけどふんばって良かった、って事がほとんどですよ。
「若いころの苦労は買ってでもしろ」などということわざがあります。「艱難汝を玉にす」という格言もあります。今は大変でも、手抜きをせずにしっかり取り組めば、あなたにとって大きな力になると思います。
過去の質問に、過去の選択に後悔があるようですが、今思えば失敗の選択だったかもしれない事も、その時は最善だと思って選択をしたはずです。当時の選択権は今のあなたにはありませんが、今のあなたには、ここで、我慢するのか、他の道を選ぶのかの選択権はあなたにあります。将来を見据え、変化する世の中に対し、今(というか常に)自分がどう動くのか考え行動する事が大切です。あなたが選んだ行動の結果は常に必然的にあなたに返ってきます。
質問者からのお礼
御礼が遅くなりまして、申し訳ありません。御二方とも御回答ありがとうございました。過去は変えることは出来ませんが、過去の評価・意味づけは今から変えることが出来ますから、今から自分なりに精一杯努力して、あの時はあれでよかったんだ、と思えるような未来になるよう、精進したいと思います。