死についてのさまざま
先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。
2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。
祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。
祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。
その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。
祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。
亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか?
そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。
些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。
寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。
死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。
誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。
そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本当の悲しみと共に、本当のいのちの姿を学ぶ
をかさん、大切なお話を聞かせていただき有り難うございました。おじいさん・おばあさんとも一緒に生活をされていたのですか。同じ屋根の下で過ごしたからこそ思い出もたくさんあり、その分、悲しみも深いことだと思います。だから、こんなにも出るのかと自分でもびっくりするほど涙がこぼれ出るのでしょう。そんな時は心のままに、どうぞ涙を流してください。その涙は、おじいさん・おばあさんがをかさんにとって大切な存在であったこと、大きな存在であったこと、それだけ愛されたことの証なのです。
その悲しみは、同時に世界の価値観を一変させてしまうものだと、私も受け止めています。お母さまを亡くした40代の息子さんは、「諸行無常とはまさにこの事だったのですね」とつぶやきました。つまり、言葉で聞いていることと、それを体験することは、雲泥の差があるということです。その雲泥の差が、価値観を一変する力となるのです。いのちや生活の安定を願う私たちにとって、価値観が一変すると言うことは耐えがたいことです。をかさんのように、これからも大切な方をまた失わなければならないのかという不安を抱えることになるわけですから。
そこで、「一期一会」という言葉を思い出してほしいのです。いつの時代も、「明日のいのちの保証はない」のです。だからこそ、今日のただいまが大切で、この出会いは奇跡のようなものだ、とこの言葉は教えてくれます。
「諸行無常」という言葉も、一面だけを切り取ると『平家物語』にあるように、盛んなるものが衰えるさまと捉えますから、なんと悲観的な言葉だと受け止めることになります。しかし、本来この世の全てが「諸行無常」なのです。をかさんがお母さんのお腹に宿ったこと、十月十日育まれたこと、この世に生み出されたこと、これまで多くの方の関わりと見守りの中で一日一日生きてこられたことも、「諸行無常」の表れなのです。をかさんは、本当の悲しみと共に、本当のいのちの姿も学んでいるのです。
これまでの思い出を胸に、その思い出を作ってくれたおじいさん・おばあさんに感謝しながら、一日一日を大切に生きてください。しばらく悲しみは続きます。体の調子も変化をします。でも、太陽が変わらずをかさんを照し包んでいるように、仏さまと成られたおじいさん・おばあさんの導きは、すでにをかさんに届いています。このハスノハに出会ってくださったことが、その証です。
質問者からのお礼
心のこもったお言葉ありがとうございます。
サイト内の他の人の投稿やそれへのお坊さんへのお言葉もいくつか拝読しました。僕と同じように大切な人を失い、悲しむ人が多くいて、自分が生きている世界も皆さんと同じ人間であるのだと改めて気づかされました。
そして、多くのお坊さんの考えを読ましていただき、自分にも当てはまるお言葉が多くあり、また涙が溢れました。そして、この悲しみをありのままに受け止め、次へ進めるような気がしてきました。
「諸行無常」、まさにこのお言葉通りだと思いました。そして、当然ながら自分もその中の一人である。そう思いました。僕も祖父母のように人に尽くし、何かを残せるような、「一期一会」の悔いのない人生を限りある時間で果たそうと思います。きっと、祖父母もそれを望んでいる気がしました。
これからも祖父母を心で想い、手を合わせ生きようと思います。
本当にありがとうございました。