母の死
毎回同じような相談をしてすみません。母が亡くなり2年が経とうとしています。詳しくは言えないですが、私が、母を殺したようなものです。30代にもなって母に何一つ親孝行もせず、反抗ばかりしてきました。そんな私を母は全て受け入れてくれていました。母の死を無駄にしないためにも前向きに生きなければいけないのに、何をやっても上手くいかず続きません。私が、きちんと生きなければ母に償えないのにこのままでは、生きているだけで、私は何の役にも立たない迷惑な人間です。死にたくても死んだら死んだで周りに迷惑です。母へ償いもできず周りには、迷惑ばかりかけています。こんな私が、生きていていいんでしょうか、母に謝りたくても突然亡くなったので母の最期にも会えませんでした。もう2年も経つのに自分が情けないです。いつまでもいつまでも前向きに努力できない。消えてなくなりたいです。長い文章すみません。
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あなたが生きているだけで親孝行
二人目の子どもが生まれてくるときに、私も家内もある程度の年齢だったので、子どもは一人というつもりになっていて慌てました。その時、友だちが、「子どもは自分が育つだけのものは持って生まれて来る」から安心して誕生を喜んだらいいと言ってくれました。ある意味、情けない思い出ですが、この言葉にずいぶんと救われた記憶があります。
あなたは親孝行ができなかったとおっしゃいますが、お生まれになり成長し成人なさった過程でもうじゅうぶん親孝行をなさっているのではないでしょうか。生きているだけで親孝行ということですね。この言葉に納得がいかないのでしたら神戸の須磨寺副住職、小池陽人僧正がyoutube動画のなかで「生きているだけで十分」という動画をアップしておられるのでご視聴下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=8JZ9daarZt4
もし、生きているだけでは不十分だとどうしてもお思いなら、他者より優秀であるとか、仕事で認められるとかではなくても、いろんなことができるはずです。能力主義、成果主義にこだわらなければ社会に貢献できることはいくらでもあります。今できること、そのままでできる身近なことから始められたらよいのです。それは、たとえば電車の中で席を譲るみたいなことです。
親に育ててもらったのに何ほどのこともしていない、ということは私にも当てはまり、身につまされる問題です。でも、自分を責め、自分を自分で貶めるようなことをしていたら、それこそが親不孝です。自分自身を大切にし、自分自身をいたわり愛することも必要です。ネフという先生の『セルフコンパッション』という本をお勧めします。あなたのお考えが変わることを遠いところから願っています。
質問者からのお礼
早速回答いただきありがとうございます、You Tube見させていただきました。生きているだけで十分とは本当に救われる言葉ですね、本も読んでみます。自分にできる小さなことをしていきたいです。落ち込んだ時は、とりあえず生きているだけで十分と思うようにします。本当に温かな言葉をありがとうございますm(_ _)m