愛猫を死なせてしまったのは自分
9月6日に愛猫が永眠しました。元は実家で他の子達と暮していて5月に他県へ引っ越した私の元に連れてきました。他の子も愛していますが、この子は特別不思議なくらい分かり合い愛し愛されたと感じる子でした。異変に気づいてからわずか3日のことでした。前足が動かなくなり病院で見てもらうと重度の糖尿病でした。動かなくなったのは糖尿病の症状より深刻で検査をするには今は耐えられないので糖尿病の治療を優先させ半日その病院で預かってもらい夕方に迎えに行った時には後ろ足も動かなくなっていました。大きな病院に連れていった方がいいと紹介状を頂きその夜は一晩中傍にいました。翌日遠く離れた病院に連れて行き、やはり深刻で検査は難しいと、しかし目や表情はしっかりしていると言われ少し安心していました。ひとまず糖尿病の数値が落ち着くまで入院させて頂く事になり、手続きの待ち時間に2回面会をし1度目の面会の際いつもの会話のように目をぱちぱちと向けたかと思うと動かせない筈の手足で立ち水を目の前で飲んで見せてくれました。それが最後の会話だと思いませんでした。次の面会の際には先程までこちらを向いていた筈が背中を向けて撫でても顔を向けてくれず反応してくれませんでした。私はまだ会えると思っていたので頑張ってねと声をかけ病院を後にしました。今思えば最後の挨拶をして突き放すように背中を向けていたように思えます。次の日の夕方に急変の連絡が来て急いで向かいましたが着いた頃には目も口も開いたまま脳死の状態で人工呼吸器を外せばすぐに心臓が止まってしまう状態でした。回復の見込みは無いことは理解していました。頑張ったねごめんね家に帰ろと声をかけ人工呼吸器を外してもらいました。今は御骨を傍からはなせません。糖尿病はストレスが原因で引越しさせた際に負担をかけていたのはわかっていたのに、重度になるまでそのサインに気付けなかった自分が憎い。手足の原因も分からないまま身勝手な自分のせいだという思いが頭から離れません。1匹でお留守番させる事も多く辛いのを我慢して寂しい思いをさせていたと思うと自分が許せない。連れてこなければこうはならずに手足も動いていたのではないか今も生きていたのではないか。気付いてやれるサインをどうしてもっとちゃんと考えてやれなかったのか。私と住んで幸せだったのか。また私の元に来てくれるだろうか。憎んでいないか。後悔の毎日です。
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誰のせいでもない
拝読いたしました
ニャンコも糖尿になるのですね
糖尿はいきなりストレスでなるものではないですし
できる限りの治療をされた
ゆずさんは素晴らしいと思います
最後の人工呼吸器を外すところまで
看取られたのですから
とっても愛された幸せな最後だったと思うのです
お骨は側に置いていても良いじゃないですか
話しかけてあげて下さいね
物陰に隠れて
じっと聞いているハズですよ
そして できれば
もう動物は飼わないなんて思わないでくださいね
そんな愛情を持った方を待っている
独りぼっちの猫ちゃんが
まだまだ沢山この世界にはいるのですから
小さな命に合掌させて下さいね
質問者からのお礼
ありがとうございます。
心が救われる思いです。
たぶんこの先も自分のせいだという気持ちが消えることはないと思います。
しかし
病院に着いた時、既に動かなくなっていた我が子を看取ってあげられたと言ってもいいのか、ちゃんと看取ってあげられてないじゃないかと自分を責めていましたが
人工呼吸器を外した最後まで看取ってあげたというお言葉を頂き、心につっかえていた何かがまた1つ溶けていったように感じました。少しずつ前を向いて、気持ちも落ち着き色んな整理がついたら、いつかまた小さな家族を迎え入れたいと思います。