亡くなった母の供養
昨年末に母が亡くなりました。
私は一人っ子で母親っ子だったので、いつか母が亡くなったら、その時自分はヤバイだろうなぁ。自分を保てるのかな?なんて物心がついてから考えたこともありました。別にマザコンで母がいないと何もできないとかじゃないけど、親父含めて自分を育ててくれた両親に親孝行してやりたいと思い、たまにご飯に連れていったり旅行に連れていったりしてました。自分で言うのは変ですが、回りを見ても親孝行してきた方だと思います。
でも喧嘩もたくさんしました。詳細は省きますが、携帯メールの迷惑メールとか詐欺的なメールを信じて金を取られ、家族に無心するようになり、拒否するとヤミ金に手を出すようにもなってしまいました。目を覚まさせようと何度も対話や説得を試みましたが、元々気や自尊心が強い母は騙されてることを認めるはずもなく、それどころか何故金が必要なのかとか詳細は一切話してくれなかったので、自分の思いが伝わらない母をぶん殴ってやりたいとか、家から出て行って欲しいと思うことも多々あったし、ここに書けないような低俗な言葉とともに何度も母にぶつけたこともありました。
それ以外の時は仲いい親子関係だったと思うのですが、そんな母が急に亡くなったとき、とても悲しかったのに、取り乱すこともなく、物凄く冷静な自分がいたのです。親戚付きないもほとんどなかったこともあり葬儀は葬儀というほどのものでもなく、親父と妻と妻の両親や兄弟だけのものでした。もちろん人前だから気をはってた部分もあったのですが、よくツラいと聞く火葬の最後の場面でも毅然としていました。
何が言いたいかというと、私は私自身がわからないのです。実母に対して思い入れがなかったのか?もしかしたら無意識に母の死でヤミ金の取り立てから解放されると喜ぶ自分がいて自分が冷酷なのかもしれないと思う自分がいるのです。もちろん涙を流したり、泣き崩れたりが個人に対する思いの尺度ではないことは理解しているのですが、母が自分を見たとき悲しまないか不安な自分もいます。
死語の事には懐疑派というより否定的だった自分ですが、父の実家の宗派の僧侶に葬儀、49日、新盆を依頼し、朝と帰宅後には母のお内仏に手を合わせるのが日課で、それは純粋に母に対する感謝、あるとするならあの世でみんなを見守っててねという思いからです。
私って一体なんなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ふとした時に
拝読させて頂きました。
お母様がお亡くなりになられたことを心よりお悔やみ申し上げ心よりお祈り申し上げます。
大切な方やご家族や特に親が亡くなられたことについてのお気持ちや思いや感情は人それぞれに違うものです。
今のあなたの感情や思いありのままでよいのではないでしょうか。そしておそらくですがお母様への思いはこれから余計に深く濃くなっていきます。
ある時ふとしたことから、或いは全く別の形でもお母様への思いが様々よみがえってきますし、忘れようにも忘れられないことが浮かんでくるでしょう。
それはそれありのままのあなたのお母様への思いですから、そのままお母様に心から手を合わせてあなたの思いをお母様にお伝えなさってみて下さいね。その際にいろいろなお母様の表情やお声が聞こえてきます。或いはじっとあなたを黙って見つめていることもあるでしょうからね。
あなたとお母様とのご縁、そしてあなたやご家族の皆さんやお母様とのご縁はこれからもずっと永遠に続いていくのです。
どうかあなたのお母様への思いをこれからも大切になさって下さいね。いつもお母様はあなたを見守っていて下さいますからね。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azumaさま
温かいお言葉、ありがとうございます。
教えていただいた通り、手を合わせて思いを伝え続けていきたいと思います。
もっと色んなことをしたかった。旅行にも連れていってやりたかった。美味しいものもたくさん食べたかった。新築の家でもっと暮らしたかった。孫を抱かせてやりたかった。おそらくは母に対する色々な思いが渦巻いているだと思いますが、私を縛りつけていた何がが解かれはじめた気がします。
教えていただいた通り手を合わせて思いを伝え続けてみたいと思います。
ありがとうございました。