hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

特に悩みはないけど、希死念慮が消えません

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

初めての相談です。
物心ついた時から希死念慮が消えません。
もちろん楽しいことをしている真っ最中や、そう言った予定の前日は消えますが、基本的に死にたいという漠然とした思いがあります。

中学生の時、祖母と同居するようになり、ストレスがひどくなりました。
毎日祖母と母親が喧嘩するからです。
母親は祖母から躾という理由で暴力を受けていたこともあり、私は祖母のことが嫌いでした。父も母も祖母のことは嫌いで、家庭環境は最悪でした。
先日祖母が亡くなりました。道徳的に問題があるとは思いますが、人生で一番嬉しい瞬間でした。
この時、今後は一切のことに悩まず毎日明るく楽しく暮らそうと決意しました。

しかし、実際は仕事が思うように進まないなど小さなことで不安になる自分を変えられませんでした。ちょっとしたことで死にたいと思ってしまいます。また、不安なことがあると夜寝れなくて、次の日思うように自分の力を発揮できず、そんな自分に苛立つことも頻繁にあります。その気持ちを夫にぶつけてしまう自分に何より嫌気がさします。こんな不安な気持ちにすぐなる自分は人間に向いていないと感じています。客観的に見て仕事も安定していて、人間性がとても良い夫もいて、人間関係にも恵まれている、不満のない人生だと思います。
結局は小さなことに反応し、不安になり、死にたくなる自分に問題があるとわかっています。これだけ死にたい気持ちがあっても死ねない自分の勇気のなさも情けなくてたまらないです。

まとまりのない文章で申し訳ないですが、何かアドバイスが頂ければと思い、相談しました。よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分に優しく

まる 様 相談ありがとうございます。

おそらく、子供の頃、思春期のころに言いたいことも言えず、我慢したり、耐えることが多かったのではないですか?それは相談内容にあるように、家庭環境とかが影響しているのでしょうけど、それによって、自分を責める心の癖や自分の出来る事に肯定感を持てずにすましてきてませんか?

もしそうなら、小さい頃、思春期の自分にたいして
「あの時の私は、そうするしか仕方なかったんだ、自分はあの環境でも頑張って生きてきた」と我が子に語るように、癒すように、抱きしめるように、優しく言ってみてください。
自分の中の子供時代や、迷った時、悩んだ時、それは貴女が一生懸命生きていこうとした証です。だから自分の中の子供時代からこれまでを癒してください。
「もう大丈夫だよ、頑張って生きてきたね」「これからは優しさで包んであげるよ」と癒してください。
自分に優しく、愛情や思いやりを自分に向けて、寛容に、そして自分を許す。こんな気持ちがあなたを支えますよ!!!。

そして、些細なことの出来ないことには目を向けず、誰でも失敗するぐらいの気持ちで、些細な出来る事、出来たことに目を向けてください。
小さな出来る事にOKを出すのです。ダメ出しではなく「よい(良い)出し」です。
「OK、OK」「できるできる」「自分も出来る事は沢山ある、偉い!!」と良い出ししてください。
そして、肩ひじはらずに、頑張り過ぎずに、明るく生きていきましょう。
止まない雨は無い、きっと晴れる。
あなたの人生は貴女が主人公。笑顔でいきましょう!!

{{count}}
有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

釋 孝修 様

ご回答ありがとうございます。
言葉で表現するのが難しいのですが、とても救われた気持ちになりました。
両親からの愛情は充分にあったとは思っていますが、おっしゃる通り祖母のことで我慢することも多かったです。

自己肯定感が低いということに気づいたのは最近でした。今までは「〜だから自分が好き」という考えでしたが、ありのままの自分を好きになれるよう少しずつ実践していきたいと思います。

周囲の人を大切に、前向きに生きていけるよう、頑張りすぎない生き方を身につけていこうと思います。改めてご回答ありがとうございました。

「希死念慮とのつきあい方どうしたらいい」問答一覧

なぜあんなに自分勝手だったのか

私には信頼できる友達がいて、家族との関係も良好であり、周りの人にとても恵まれていると思います。 私はおしゃべり好きではありますが、自分の意見を曲げずに押し通したり、思いやりのない行動はしないように気をつけてきたつもりでした。 しかし、以前付き合っていた方に対して、私はどうしようもなく自分勝手な言動をしていました。 当時は、相手が自分のことを好きでいてくれることに調子に乗り、自分の感情を優先していたのだと思います。 自分は相手に寄り添おうとしていなかったのに…です。 相手の性格や生活スタイルを考えずに連絡を強要したり、きちんと感謝していなかったり、自分勝手な言動を思い返せばきりがありません。 価値観の違いですれ違ったというより、私の身勝手で上から目線な言動に相手が耐えられなくなったのだと思います。 相手の気持ちや、そのときの状況を考えれば間違っていると誰にでも分かるようなことをしていましたし、相手には嫌な思いをたくさんさせてしまったと思います。 冷静になって振り返ると、自分で自分が信じられないです。 また、不安や寂しさといった感情をコントロールできなかったことも自分自身の弱さであり、そのような芯のない自分が情けないと思っています。 今は反省反省の日々なのですが、誰に対しても謙虚に思いやりをもって生活していれば、自分を変えることはできるでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 ご回答いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

SNSでの誹謗中傷が長い間続いています。

あるSNSで複数人、グループのような形で仲良く交流をしてた人々がいました。(以下、ネッ友たちと記載させて頂きます。) そのネッ友たちとは約4年程交流していたのですが、ある日、ちょっとした事で喧嘩をしてしまい、いわゆる喧嘩別れをしました。 喧嘩の内容は、意識のすれ違いというか、 正直なところ、何故そこまで執着して責められないといけないのだろう…といった内容です。どちらに非があるのか、聞かれれば微妙な内容です。 喧嘩をした後は速攻アカウントを削除しネッ友たちから離れました。 それから2年後のある日、たまたまネッ友たちの内の1人のアカウントを発見してしまい、興味本位で覗いてしまいました。 悲しい事に、まだ私に関する悪口が沢山書かれていました。 過去の私の投稿や発言を転載し、揶揄する内容のものもありました。 会話のやりとりもあったため、察するに仲間内で盛り上がり、当時のメンバー全員で書いているのだと思います。 とても怖く、ショックであったため、もうそのアカウントは見ておりません。 お恥ずかしい話なのですが、当時、そのネッ友たちに自身の本名などの個人情報を伝えてしまったため、いつか個人情報をインターネットにバラまかれたりしないか?と心配で仕方ありません。 住所なども特定されてしまう、または既に特定されているのではないか?と余計な妄想までしてしまい悩んでいます。 自分の失態が招いた出来事であるのは勿論承知なのですが、デジタルタトゥーを残されることが特に心配なのです。 正直なところ、2年も誹謗中傷が続いているものですから、何をされていてもおかしくないと考えております。 現在進行形で悪口が書かれる事と、個人情報がインターネットにバラ撒かれないか、という不安で大変辛いです。 毎日、普通に生活していても、ふとした瞬間に書き込まれた悪口を思い出しては辛い気持ちになり、「今も悪口を言われているのだろう。」といった悪い思考に取り憑かれています。 どうしても病的に思い出してしまいます。 私は一生、この不安や憂鬱な気持ちと付き合っていく他ないのでしょうか。 どうすればSNSでの誹謗中傷を気にせずに居られるでしょうか? 何せ粘着されている期間が期間であるため、精神的に大変参っております。 どうすれば気にならなくなるか、または立ち直り方など、心の持ちようをお教えください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

かわいそうと思ってはいけないのか

障がいのある方、被災した方、いじめられたり虐待された子ども、性被害にあった女性、パワハラを受けた男性、重い病気の方、ペットをなくした方、多頭飼育崩壊の犬猫など、私が彼らのことを思う時に、私の心に浮かぶ感情に名前をつけるなら「かわいそう」だと思います。 細かく分類すればそれぞれ少しずつ違うと思いますが、それをうまく表現できないので、総じて「かわいそう」だと思います。 (暴力でしか自己表現できないような人を「かわいそうな人」と思うことがありますが、この「かわいそう」は先の人たちのとは違うという意識はあります) ですが、当事者の方には「かわいそうと思ってほしくない、そう思うのは見下しているからだ」という意見があります。 傷ついている相手に寄り添いたい、力になりたいという思いは「かわいそう」だからだと思っていたのですが、間違いだったのでしょうか。 私のこの感情は、正すべきなのでしょうか。 それともこの感情には違う名前があるのでしょうか。 「かわいそうというのは差別だ」という意見を見て、そしてその意見が支持を集めていて、自分の中に無意識の差別意識があったこと、かつてそう思い行動したことで相手を傷つけていたかもしれないこと、自分の感情を否定されたことにショックを受けたので、質問させていただきました。

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

鬱になりそう

はじめまして。大学1年生、19歳。 みょんと申します。 私は物心ついた時から希死念慮を抱きながら生きてきました。 母に「私なんて生まれなければよかった。」と、泣き叫んだこともあります。 (その時は幼かったので、母に如何に大切に思っているかを伝えられて落ち着きました。) ここ数年落ち着きを見せていた鬱状態、希死念慮でしたが度重なる多忙、精神不安から再発しています。 ➀サークルの仕事 イベントサークルに所属しておりSNS運営や画像作りを担当しているのですが 大学祭のイベントの投稿2週間分を前例のない状態で作り上げたこと。 ミスコン団体のイベントのポスター、SNS投稿作り、リハーサルを同時並行で行ったこと。 ➁疎外感 サークルや友達と居ても疎外感を感じてしまい、寂しい思いをしていること。 ➂アルバイト アルバイトの仕事で仕事を教えてもらえない、お局様からのいやみなどで電車に乗れなくなり アルバイトに行けなくなって辞めてしまったこと。 バイトを変更して、新しいバイト先になったはいいもののよく体調を崩してしまうこと。 (理解のある職場で体調不良時も優しくしてくださいます) ➃ホームシック 田舎から出てきたホームシックで都会の喧騒に疲れてしまい、家に篭りきりな事。 同棲している彼氏にこのままでは壊れる、と言われてしまいました。 私もそう思います。 どうしたら心が保てるでしょうか。 来年度からはサークルが自分たちの代になること、 現状5人程度で運営するミスコン団体の幹部になりタスクが増えること、 彼とうまくいかなくなってしまったら など、不安要素が沢山で毎日苦しい、頭が痛い、希死念慮で溢れる日々です。 どうしたら前向きに過ごせるでしょうか。 長文失礼いたしました。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ