12月までに死ぬことに決めました
もう生きることに疲れました。
31歳の誕生日を迎える前に死ぬことにします。
私は毎日明るく楽しく生きています。
職場でも頼りにされムードメーカーとなり、成果が認められ1月から希望していた営業に移籍することも決まりました。
ですが、全て本当はどうでもいんです。
幼い頃から機能不全家族で育ち、お前は家族じゃないから家から出ていけと言われ、日常的に殴られたりしていました。
親に愛されず自分は必要ない人間だと思っています。
そんな私ですが、友だちには恵まれ本当に私のことを愛してくれる人達ばかりです。
ですが、いつも満たされず孤独で虚しい思いを抱えて生きてきました。
自分を必要として欲しいという思いと容姿のおかげか恋人は途切れませんでしたが、結局最後はお前は必要じゃないと言われるのが怖くて自分から別れを告げています。
今年の5月から会社の課長から誘われ不倫を始めました。
すごく優しくて大事にしてくれ愛してくれ、この人は私のそばに居てくれると勘違いしてしまいました。
当たり前ですが奥さんの方が大事ですし、私が1番辛い時も彼は奥さんの方を取ります。
それは仕方ないけど、私が辛くて耐えきれなくなったので別れを告げました。
それから、私はやっぱり誰にも必要とされない人間なんだと確信しました。
馬鹿馬鹿しいと思われるでしょう。
だって、不倫なんてそんなもんだから。
自分でもわかっています。
けど、これはあくまできっかけでこれが自殺のトリガーになっただけです。
最近彼とまた会ってしまい、関係を持ってしまいました。
その時、ちゃんとせフレになろっかと言われました。
そう言われた瞬間、少しでも期待していた自分がほんとに愚かに感じました。
別れる時に彼にどれだけ想っているか、だからどれだけ辛いかを伝えたのに、そういうことを言われてしまうような価値のない人間なんだと確信しました。
友達や姉に死にたいと告げると、とても真剣に励ましてくれ、いつでも私の味方でわたしを助けられるなら、どんな事でもすると言ってくれました。
それを聞いて、私はこんなに愛されているんだと嬉しくなり、これで心残りなく幸せな気持ちで死ねると安心しました。
ここに投稿させて頂いたのは、こんな人間がいたのだと誰でもいいから知って欲しかったのかもしれません。
こんな拙い文書と醜い気持ちを読んでくださりありがとうございました。
幸せそうな子供を見ると辛くなる 人の幸せが幸せにも感じる一方で、私には訪れないと虚しく思ってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無償の心
こんにちは、初めまして。
「自分は必要ない人間」と思いながら成長された。そして、成人してパートナーが出来ても「最後はお前は必要じゃないと言われるのが怖」いのですね。
自分を無条件に愛し、見捨てることは決してない。
そういう無償の心が世にあることを、あなたは未だに得心できないでいるのでしょう。その報われない苦闘の日々を想います。
ただ、その無償の心を求めても報われないことが骨身にしみているはずなのに、一縷の望みを持ってしまったのが今回の不倫なのでしょう。「不倫なんてそんなもん」であるにも関わらず。
「とても真剣に励ましてくれ、いつでも私の味方でわたしを助けられるなら、どんな事でもする」と言ってくれる「友達や姉」がいて下ることは有り難いことですね。しかし、あなたはこの周囲の大切な言葉を聞いて、「こんなに愛されているんだと嬉しくなり、これで心残りなく幸せな気持ちで死ねると安心」した、と書いています。
そして、今回「投稿」した動機は、「こんな人間がいたのだと誰でもいいから知って欲しかった」からだと言われています。
「友達や姉」の言葉で、あなたの最終的な結論は出たはずです。
しかし、敢えてそこから、この度投稿された。
遠慮がちに言われていますが、本当はあなたは問いをぶつけたかったのではありませんか。自分を無条件に愛し、見捨てることは決してない、そういう無償の心はあるんですか。その愛は、心は私に縁があるのものなのですか、と。
今のあなたにとって、すべての人間の言葉はとても軽いでしょう。
どんなに千の言葉を重ねても軽い。
何故なら、その言葉たちはあなたの人生を引き受ける覚悟、認めて慈しむ絶対さに欠けているからです。
今のあなたに必要なのは、人間ではなく仏様の心、言葉である、と思います。
摂取不捨(せっしゅふしゃ)
あなたを丸ごと引き受けて、決して見捨てない慈悲のお心です。
あなたと同じように苦しんで、同じように悲しんで。
あなたの幸せを、あなたの人生と共に歩んで導いてくださる。
そのお心は、いま既にあなたの心の側にあります。
その御心を感じたならば、どうぞ手を合わせて下さい。
あなたは、いつでも、どこでも無償の心に支えられています。
追記
ご丁寧にお礼をありがとうございます。
あなたのことが気になっていました。
同県ですし、また縁あったらお寄り下さい。
「菩提心」
えみさま
そもそもその価値とは何でしょうか。。
世間の基準などはあてにはなりませんし、もともと相対的なものであって、時代や環境等においてもコロコロと変わってしまうものであります。
絶対的な価値というものは存在しません。
勝手に自分で価値を判断して、自分をそのように決めつけてしまっていないでしょうか。
自分で決めてしまっている貴女さまの価値は、既に友達や姉さんの判断されている価値とも違っているのは明らかであります。
決めつけてはいけません。
まあ、もしも、何らか高い価値を必要となさられるのであれば、もちろんあくまでも相対的な価値ではありますが、仏教的に高い価値の一つをお教え致しましょう。
仏教では、まず、「菩提心」の生起を大切に致します。
菩提心は、全ての衆生が幸せになるように、全ての衆生が救われるように、そのための悟りを得たいのだという強い決意の心であります。
貴女さまも含めて、この世の全ての衆生は苦の中にあります。少し大きく視野を広げられて下さい。皆のありようをよく見てみて下さい。
誰もが、大なり小なりにでも、愛する者たちとの別れを経験し、辛い嫌な出来事にもたくさん会い、病や老いや死に苦しんでいます。欲情や煩悩に負けてしまって苦しんでいます。また、何を求めても求めても満足することなく、虚無な心を抱えて苦しむこともあります。
それぞれ、愛別離苦、怨憎会苦、老苦、病苦、死苦、五蘊盛苦、求不得苦と言ったものになります。生きるのは実は皆、一様に苦そのものなのであります。
そんな苦にある者たちに対して、自分の苦しみとも同じなのだと思い、少しでも、自分も含めて皆の苦しみが無くなれば良いのにと思って頂けましたらと存じます。
そう思って頂くことが、実は仏教における第一歩となり、仏教においての一大事であり、大いに価値のあることとなります。
そして、釈尊は、それらの苦しみを無くしていくための方法をお示しになられておられるのであります。
自分も、他の皆も、その方法を実践していけば確実に苦しみは無くなっていくのであります。
どうでしょうか。少しは興味を持って頂けましたでしょうか。
もし、興味を持って頂けたのであれば、是非、ここから仏教を学び進めて頂けましたら有り難いことでございます。
川口英俊 合掌
独生独死独去独来
相談?ありがとうございます。
一緒に考えさせていただきます。
仏教が向き合っているのは私という人間です。
お釈迦様は『仏説無量寿経』の中に独生独死独去独来という言葉を残してくださっております。独り、人間は独りであるというものです。
実際お釈迦様も結婚して、子供もいて王宮に暮らし、何一つ不自由ない生活を送っていました。
しかし、満足できない。自分の人生に疑問を感じ、出家して修行僧になっています。
苦行を繰り返し、その中では悟りを開くことはできませんでした。
世の中はすでに苦に満ちています。
私は誰かに寄り添い続けることはできない。
誰かの悲しみに寄り添い続けることはできない。
私も今、迷いながら生きています。
それほど悲しんだあなたなら、同じように、今悲しんでいる人に私以上に寄り添えるはずです。
あなたは安心して愛されてなくなる事ができるかもしれませんが、相談しても止める事ができなかった、お友達は一生後悔を背負って生きていきます。
自分一人で生きてきたわけではありません。生きているということは数万、数億のご縁をいただいて生かされています。
現代社会はそれが限りなく見えにくくなっています。
現代社会はなるべく人と人の縁が遠くなるように動いています。
まとめる事ができずに遅くなりましたが返信させていただきました。
12月までまだ少し時間があります。
是非また投稿してください。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて極楽浄土に往生したいと願うなら、阿弥陀仏の力で、あなたは極楽浄土に生まれることができます。
浄土宗ではそのように考えます。
臨終時と来世の幸せは、南無阿弥陀仏で確定します。
あなたの人生のハッピーエンドは決定しますので、ご安心を。
あとは、この世での時間をどう平安に過ごすかと、あなた以外の他人の幸せのために何ができるか、ですね。
ところで、自殺者の九割は「うつ」等を患っていると言われます。
医療機関に相談してみてはどうでしょうか?
最近、鬱病の原因物質をつくるウイルスも発見されたそうです。
自殺したい気分も治療できる時代がくるかもしれませんね。
質問者からのお礼
たくさんのご回答ありがとうございました。
私の知らなかったたくさんの考え方を教えて頂き、あの後姉に病院に付き添ってもらい治療を受け、友達にもみっともない姿を見せながら頼って、生き延びることが出来ました。
仏教を知りたいと思い、空也上人の本を読んだりしました。私の友達も、姉も、空也上人のように、自分のことより人のことを思いやれる優しい人で、こんな人たちに一生取れない傷を作らなくてよかったと思いました。お話を聞いていただき本当にありがとうございました。