猫につらい思いをさせ後悔が尽きません
猫につらい思いをさせたまま旅立たせてしまいました。
私が早く死なせてしまったと思っています。
子どもが生まれるまで大好きだった猫を、子どもが生まれてからは衛生面と子どものけがを心配し、邪魔者扱いしました。
子どもの世話で忙しいのを理由に、遊んでほしそうでも猫を無視しました。
あるとき、私が猫に噛まれ、病院へ通うことになりました。
それ以降、元々の猫の飼い主である夫にも怒りをぶつけ、
猫を一室に閉じ込め、私が猫と顔を合わせることはなくなりました。
それからちょうど1ヶ月後、以前から体調を崩していた猫は、
ご飯も水も取らなくなり、立てなくなり、死んでしまいました。
私は夫に、猫をどこかに引き取ってもらえないのならケージで飼ってくれと言い、
猫を入れるケージを買わせました。
夫は私に何も言わず、弱っていく猫の世話をずっとしていました。
夫が猫のことを話題にするのも嫌がりました。
私は休みの日でも子どもの世話をせず、猫のそばにいる夫に冷たくしました。
たった一度、猫を閉じ込めた部屋のドアを開けたら、猫が私に近づいてこようとし、私はすぐにドアを閉めました。その前後から猫は容体が悪くなり、3、4日後に亡くなったのです。
猫が亡くなった今も、夫は私を責めません。
猫は全部分かっていた、自分も猫の死を覚悟していたと言います。
私は猫を閉じこめ、夫にすべてを押しつけ、子どもだけをかわいがり、噛まれた傷が痛まなくなってからは同じ家にいるのに猫のことなど忘れていました。
弱っていく猫の部屋の隣で、笑って過ごしていました。
自分が鬼だったと思います。
けれど昔の写真を見ると、猫となかよくなりたくて、気を引きたくて、
猫が一番だった日々がありました。
最後に憎んだ猫を、今は影でもいいからどこかにいないかと探して涙が出ます。
もうどんなに悔いてもどうしようもないのだと、絶望的な気持ちでいます。
生きている間、噛んだことはもういいよ、私もひどいことをしてごめんなさいと
言ってあげたらよかった。
撫でてあげたらよかった。名前を呼んであげたらよかった。もう何も叶いません。
自分を責めて生きていくしかないと思っています。
どうしたらいいか分からずただ書いてしまいました。
厳しいことでも構いません、楽になりたいとも思いません。
ただ何か一言いただけたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
夫や猫ちゃんに、素敵な思い出をありがとうと。これからは感謝を
そぅ。。。あなたの言葉は、そのまま猫ちゃんへのメッセージのように感じたわ。届くといいねぇ。
出産後は、母親というのは、神経がピリピリ。子どもの命を守ると、とにかくそれだけに全神経が注がれるの。
だから、あなたが、お子さん中心脳になったのも、無理はないわ。どうしても、優先が変わってしまう。それだけ、精一杯の母を走ってきたのよ。
猫ちゃんには、その分、夫が愛情を注がれたことでしょう。猫ちゃんも、幸せだったと思うわよ。
猫は、死を覚悟すると自ら行動すると、私も聞いたことがあります。そのそばに、寄り添われた夫も、あなたとお子さんに対する愛の形なのではないですかね。あなたが穏やかに子育てが出来るように、猫ちゃんを落ち着かせておられた。
ご自身を責めなくてもいい。
ただ、夫や猫ちゃんに、素敵な思い出をありがとうと、これからは懺悔より感謝して生きませんか。
あとは、仏様にお任せなさい。
救ってくださるように、手を合わせていきましょうね。
慢の心
lalaさん
はじめまして、小山と申します。ご相談内容を拝見させて頂きました。
lalaさんのご文章からは分りませんが、子育は想像よりも大変だと個人的には思っています。自分の時間、睡眠、などの自由な時間は全て子供に捧げられます。特に妻は大変だったのを目の当たりにしてきました。その中で、優先順位が子供第一に考えるlalaさんの行動は自然な事だと思います。
噛まれたのも、不満やストレスの怒りに猫ちゃんが敏感に反応してなのかもしれません。だからこそご主人さまは何も言わなかったのではないかと、誠に勝手ながら解釈させていただきました。
そして厳しいかもしれませんが、lalaさんのせいで死が早まったというお考えはいささか仏教の「慢」の一つ傲慢のように感じました。猫ちゃんに影響力のある重要な人間であると思えてしまうからです。
誰にも看取られず、捨てられた動物達は沢山います。その中で、元々の猫ちゃんの飼い主であるご主人に看取られて旅立った猫ちゃんは幸せだったのかもしれません。
まずは、亡くなった猫ちゃん為に手を合せてあげていただければと思います。そして、lalaさんが猫ちゃんに何を教わったのかそれを考えてあげる事も一つの供養の形だと思います。
ご自分の中で納得できた時に、「あの時のあの思いはこれを教えてくれていたんだ」と心のが癒えてくる事を「時薬」といいます。
どうか、lalaさんの苦しみが苦しみでなくなる日を、お釈迦さま、日蓮聖人の末弟としてお寺にて御祈念申し上げております。 合掌
ご自身を責めて生きようとされているのですね
lalaさんこんにちは。lalaさんは以前は大好きだった猫を、お子さんが生まれてからはお子さんのことを優先して、邪魔者扱いしたり、無視してしまったんですね。
また、猫が亡くなった後も、lalaさんの配偶者さんが、lalaさんのことを責めずに、猫は全部分かっていたし、ご自身も猫の死を覚悟していたと仰ったとのこと。
けれども、lalaさんが猫と一緒に仲良く遊んでいた写真を見て、最後には猫を憎んでいたけれども、今は影でも良いから猫に会いたいと、lalaさんご自身の猫への対応を後悔されているとお聞かせいただきました。
かわいがっていた猫を、お子さんの誕生や、噛まれたことをきっかけとしても邪険にしてしまったこと。そして、そのまま関係を回復できないまま、猫が亡くなってしまったこと。lalaさんの言葉の端々から、ご自身がやってしまったことへの後悔や深い懺悔の気持ちを私は感じます。そのことが本当に辛そうで、かけるべき言葉が私にありません。
やってしまったことは戻りません。その事をまさに後悔され、lalaさんはご自身を責められているのでしょう。私は、lalaさんの後悔する姿を尊重いたします。
そこで、1つ、lalaさんに提案したいことがあります。それはこのページにもバナーが表示されていますが、このhasunohaの姉妹サイトに、そらノートというものがあります。
そらノートは「少し時間をおいて、亡くなった人に伝えられなかったことや、感謝の気持ち、自分の心のという整理にあの人やペットに手紙を書いていただきたい」という趣旨で作られたサービスです。
このサービスを使って、lalaさんが大好きだった亡くなった猫にメッセージを書いてみるというのはいかがでしょうか。
大切な存在を失った時に起こる、様々な感情や反応などをグリーフと言います。そして、グリーフを抱えやすくする方法としてグリーフワークというものがあります。亡くなった大切な人やペットに手紙を書くというのは、このグリーフワークの1つです。lalaさんが、大好きだった猫に伝えたいこと、してあげたいことをメッセージに記してみること。そこから始めてみるのは、いかがでしょうか。