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他人から見下される

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幼い頃から他人に嫌われたくない気持ちが強く、常に人の顔色を伺ってきました。

その根付いてしまった性格が滲み出ているのでしょうか、だいたい他人から見下されます。都合良く扱われる度に悔しい気持ちになり、見返したいと思います。何をもって見返すのか自分でもわかりませんが…。

もう他人にペコペコしないようにしよう!と思って行動すると、無愛想でおとなしそうな人に見られ、いつの間にか孤立してしまい、また悔しくなります。

この先ずっと、他人から見下されたまま情けない人間として生きていくのは辛いです。どのような気持ちを心掛ければよろしいでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当の自信

けなされるのが嫌だというのは、誰でも当たり前のことです。
自分を正当に評価してもらいたけだと思います。
ですがちょっと悪いことを言われてそれですぐに凹むというのも打たれ弱いと思います。
今後の人生のためにももうチョットBE STRONGしましょう。
言葉それ自体に悪意がないと覚えておいてください。
仮に相手が猛烈な悪意があろうが、悟った人やお釈迦様には通用しないのです。
それは何故か。
そこに自分を差し挟んでいないからです。
バカ、アホ、マヌケ、トンマ、ボケナスと言われても、そこに自分を介入しないことです。
逆に言えば自分のフィールドに取り込まないことです。
目の前のことはあなたのものではないのです。あなたに向けられた言葉であっても、取り込まないことです。何でもかんでも拾い上げようとしていませんか。
本当の自信とは、そんな壊れやすい自分を失わせないように努めることではなく「自分意識の抜きの自分」を生きることでうまれます。自信の無い方はよく読んで頂きたいと思います。
失いたくない自分があるでしょう。そんな小さな自分はいっそ持ち込まないことです。
あなたの本体はもっと大きなものです。
表面にある失いたくない自分というものは、自分が作った、マボロシの自分。自分ぽさ。自分らしさ。
その程度のものなのです。
それを投げ打って、隠し事の無いそのまんまの自分で居てみてください。
自信とは自分に信頼、うちまかせた、放任です。
ガッチリした自信を持つ事ではありません。持ち物がないからこそ構えすらなくなり鋼鉄の鎧以上の自信になるのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

得意分野を作り頼りにされよう

 私は、お坊さんになる前は、システム系の会社に勤めていました。
 お坊さんの世界に入ってみると、法要のやりかたなど、私には専門的な知識が少なく、なんとなく周囲から見下されているかも、という気持ちになったことがあります。
 そんな私を助けたのが、以前システム系の仕事をしていた、という事でした。
 パソコンの使い方を教えてほしい、と周囲のお坊さんから頼りにされるようになりました。(本当のことを言うと、私がしていたのは例えばスーパーのレジを管理する仕掛けを作る仕事なので、一般のパソコンにつてはさほど詳しくなかったのだが)
 でも、ひとつでも人から頼りにされるようなことがあると、それが自信となって、見下されるような事が少なくなってきたような気がしてきました。
 その後も、お坊さんの事で「これについては詳しい」と自分で自信が持てるような得意分野を作って、その分野では頼りにされるよう、いろいろ努力してみる事にしました。
 そうすると、苦手分野については恥ずかしい思いをすることもありますが、「これについては誰にも負けないんだ」と思っていると、見下されているような気分にはならないようになるものです。

 りんごさんはどうでしょう?専業主婦という事なので、例えばお子さんのPTA活動の中ですと例えば絵が上手とか字が上手とか、パソコンのワープロ機能を使いこなせたりすると重宝されます。PTAの総務などに入っているとイチモクおかれます。自治会の役員などを引き受けると頼りにされます。ママ友の間だったら、例えば手芸が得意とか料理が得意とか、何かないですかね?
 いかがでしょうか?何でもいいから、他の人に負けない得意分野を作り、頼りにされることで、「見下されている」感はなくなってくるはずです。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

緊張しながら質問させていただいたのですが、温かいお言葉に大変感激しています。

気持ちの在り方と、具体的な行動の提案をお二方にそれぞれアドバイスしていただき、なかなか難しいですがまず一歩踏み出してみようと思います。本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ