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身近な人の死を受け入れるには

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

先日、祖母が亡くなりました。老衰によるものでした。
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ふとした瞬間に祖母との思い出が蘇っては、もうこちらにはいないという事実に絶望してしまいます。
何も考えられず、何をしても悲しく、寂しく、つらく……。
祖母との思い出を探しては、無くなった物の大きさや多さに心が苦しくなってしまいます。
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死とは順番に訪れるもので仕方がないことだと理解はしていますし、落ち込んでばかりでは周りに心配をかけてしまうこともわかっています。
しかし、頭では理解していても心がどうにもなりません。
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祖母の死を受け入れるにはどうすれば良いでしょうか。やはり時間が解決してくれるのを待つしかないのでしょうか。
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ご教示いただけますと幸いです。何卒よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恩に報いる

みけこさん

はじめまして小山と申します。ご相談拝見させて頂きました。ふとした瞬間に思い出すほどおばあさまの事が大好きだったのですね。本当にお辛いのが御文章からも伝わってまいります。
きっと色々な回答があると思いますが、私なりにお答えさせて頂きたいと思います。
思い出すとお辛いほどに、おばあさまはみけこさんにとって大きな存在だったと伺われます。
お二人の関係がどのようだったかは私にはわかりませんが、おばあさまがみけこさんに何を残してくれたのかを思い出してみてください、それがきっとおばあさまがみけこさんに伝えてたかった事だと思います。
それを恩と申します。
おばあさまから受けた恩を、同じ様に別の人にしてあげる。これが報いる恩と書いて「報恩(ほうおん)」と申します。
そうする事でおばあさまの肉体はありませんが、おばあさまの心は生き続けると思います。
「やはり時間が解決してくれるのを待つしかないのでしょうか。」と仰るように、私個人的には人は習慣に体を委ねることで時に心の辛さを乗り越えることができるとも思っています。
法華経の中に「仏種(ぶっしゅ)は縁に従って起こると知ろしめす」と説かれております。
私達の人生は縁の連なりです。時に辛い、悲しい、楽しい、縁が訪れます。その時には、わからない縁もあります。また、時を超えて気づけるご縁もあります。「あれはこう言う事だったんだ」と薬のように時間をかけて、辛いその縁がゆっくりと心に染みた時を「時薬」といいます。
どうか、無理に理解しようとせずおばあさまが残してくれた事を今度はみけこさんが、時間をかけてゆっくりと実践してみてください。それも一つの供養になります。
お釈迦さま、日蓮聖人の末弟としてお寺より、みけこさん、おばあさまの事をお祈りしております。 合掌

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有り難し
おきもち

日蓮宗僧侶で妙経寺副住職でございます。 仏教・法華経の教えまた、日蓮聖人...
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質問者からのお礼

小山 光祐 様

お忙しい中ご回答いただきありがとうございます。

祖母が私に残してくれたものが恩であると知り、悲しいばかりだった胸の内に温かいものが流れ込んできたように思います。
この恩を忘れず、また別の誰かへと渡せるように生きていきたいです。

ありがとうございました。

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