カンニング、万引き、仏様との約束を破る
私はテストでカンニングをしたと思います。高校入試の時です。(他のテストでもしていました)
記憶は定かではありませんが、私立高校の入試と県立高校(今通っている高校)の入試でカンニングしたと思います。入試でカンニングしたのは英語のリスニング問題だと思います。
他の人の丸をつけた音が聞こえたり、他の人が動いたら私も丸をつける感じです。
このままいつも通り過ごしたいです。でも過ごしていいのだろうかと思います。
私は昔からいろいろな悪い事をしました。万引きや人の物を盗ったりしました。おそらく神社かお寺のお賽銭箱からもお金を盗ったと思います。他にもたくさんあります。
地獄に落ちたくないという想いもあります。
どうすればいいでしょうか。
仏壇の前でお許しくださいや、ごめんなさいなど心の中で言うことがたまにありますが、義務のような感じです。
また、もうしないと仏壇の前で約束したことを破っています。神棚の前で誓ったことも破っていると思います。(仏壇か神棚の前で、無断転載のものをできるだけ見ないと心の中で誓いながらも無断転載の画像や音声が使われている動画・投稿などを見る、仏壇か神棚の前で、お賽銭から盗んだお金を返すと心の中で言う→何日かして、もしかしたら返せないかもしれないと心の中で言うなど)破ってもまぁいいかと思ったりしています。
無断転載のものが使われていたものから得た知識や無断転載されたものから得た知識を使って生活もしています。
約束を破っている場合、許されませんか?
無断転載から得た知識や盗んだことにより得た・結果的に得た能力を使っていくのは許されませんか。今後も使う予定なのですが。
この文章の中に少し事実と違うことを書いたかもしれません。ごめんなさい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
中道からの外道、そして中道へ
拝読させていただきました。
神仏へ相談されることは、懺悔があって初めて目覚めていくのです。
自己の生き方に迷いが生じるからこそ、これでいいのかと自問自答が芽生えるのです。
これからもこうして生きていくことを選べば選ぶことで、貫き通す気持ちと自問自答が生じることなのです。
答えはりなさん自身が知っていることと感じます。大切な人と巡り合えたとき(縁)、この人のために生きていきたい、この人を裏切りたくないと思えた人と出会えてたときに、変化が生じます。
人は間違いに知っていても、中々変わるものでは無い生き物なのです。
人が変わるとき、自分が輝くときとは、自分自身のために欲を使っているときは輝いていないと気付きます。誰かのために命を使えたときに、自身の生き方が生きていると気づく時が到来することです。
仏教では、「済世利人」「忘己利他」を人々は誰しも持ち合わせています。「大慈大悲」「悉有仏性」が備わり、開花していきます。
hasunohaに興味、相談されますりなさんの気持ちが、必ず良き方向へと向かい、思考、心が仏心が芽生えていくことと感じます。
私たちは必ずしも老いていきます。いつまでも若さを保てることは無き、諸行無常と気付きはじめる時が到来されたときに、世の貢献者へと変貌していること思います。
仏は24時間、いつも誰しもの生き様を見つめ見守っています。
合掌
質問者からのお礼
回答して下さりありがとうございます。