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生きたい

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有り難し有り難し 9

こんにちは。よくある質問ですみません。

長いこと死にたいという気持ちがなくなりません。
長い間、死にたいと思っているせいか、死ぬことへのハードルが年々下がっています。

死ぬことはいつでもできるから、とりあえず現状維持しようと思っていても、死ぬことへの欲求に負けそうになります。
私の調べですが、気楽に自殺するのに必要な金額は3万円です。
「月3万は自分の好きなことに使う。生きるためにお金を使ったのだから今月は生きよう。」という消極的な生き方をしています。

大抵嫌なことがあるから、しんどいことがあるから、自分が恥ずかしいからなど、死にたい理由は私自身の中に、私自身の弱さによると思います。

今回は、バイト先からもう信用できませんと言われたからです。
もともとしたくない苦手な仕事です。断れない状況だったので仕方なく引き受けました。
正直、最初から信用してくれてない感じがあって辛かったけれども、やれるだけやりました。
でもダメでした。

バイトもうやめればいいじゃんと自分でも思います。
死ぬこと以外の解決方法はいつだってあります。
でも、死ぬことへのハードルの低さが、今後も色んな問題がでてくるんだから死ぬのもいいんじゃない?と囁いてきます。

自分自身が死にたいという気持ちを否定してしまいたいわけじゃありません。これはたぶんどうしようもないからです。
実際に死んでしまおうとするのをなんとか止めたいんです。
私自身、死にたいのと同じくらい本当は生きたいのだと思います。
どうしたら、苦しくても死ぬことへ逃げずに生きられますか。
教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死と共に歩む掛け替えのない生を生き抜いてほしい。

はじめまして。亀山純史と申します。

「人生は苦である。」と仏教では説きます。それは、人生は思い通りにはならないことを言っているのです。「嫌だなあ。」と思うことや、「しんどいなあ。」と感じること、そして自分自身、「恥ずかしかった。」と赤面してしまうことは、全て自分の思い通りにならないことへの表れです。そこで、人の中にはその思い通りにならないことを受け入れられずに、人生というレースに終止符を打ってしまうのです。

今、人生をレースに譬えましたが、私たちは、生きることのゴールに死があると考えがちです。つまり、私たちは死に向かって生きているのだ、という考え方です。でも、生の果てに死があるのではなく、生は常に死と共にあるというのが本来の在り方なのです。若い人の死は決して数十年後にしか来ないものではありません。蓮如上人は『白骨の御文章』において、私たちの死は、「我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず。」と書かれております。老若に関わらず、死は今日かもしれませんし、明日からもしれないのです。ですから、私たちは死に向かって生きているのではないのです。私たちの生は死と共にあるのです。ですから、ご相談者のやまこさんのように、死ぬことはいつでもできる、と思ってしまうのです。

しかし、ここで見方を変えてみてください。それは、生は常に死と共にあるからこそ、今日生きることに絶対的な価値が出てくるのです。もしも、死があと数十年後に訪れるものと決まっているならば、今日生きることや明日生きることへの価値と、死の前日の生きることへの価値に違いが出てくる、つまり、相対的な価値になるかもしれません。しかし、実際の生と死は、ちょうどコインの表と裏のように、表裏一体なのです。今日生きることも、死の前日の生きることも、どちらも同じ価値、無二の価値を持つものなのです。

人生は自分の思い通りにならないことの連続です。その思い通りにならない日々を生きて行くこと、それは死に向かっての生ではなく、死と共に歩む掛け替えのない生なのです。是非、死と共に歩む掛け替えのない生を生き抜いてほしいと思っております。

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質問者からのお礼

お礼が遅くなってしまいました、亀山さま、申し訳ありません。
お話を読んでいるときに、そういえば昔事故で死にかけたことをなんとなしに思い出しました。
バイトのほうは、本人なりに頑張っているとのことで、とりあえず仕事量を減らしてもらえることとなりました。
「死にたい」という気持ちは相変わらず消えませんが、
とりあえず今じゃなくてもいいかということで今回は決着をつけることとしました。
亀山さまの思う通りの考えになれていないとは思いますが、
一緒に考えていただけてとても嬉しかったです。
ありがとうございました。

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