hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死にたくて堪らないです

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

他人には相談しにくい悩みなのですが、私は自身のにおいで人から嫌われます。
学生時代に過敏性腸症候群を患い、狭い教室の中で意図せずガスが出てしまい他人に悪口を言われ遠ざけられました。

「なんか臭い」「くっ……スゥ〜(言い方を誤魔化す様に言われた)」「スメハラ」等の単語を聞くと動悸がしてしまい、ついその場から逃げ出してしまいます。

電車の中では周りの人が鼻を摘んで鼻を啜り出したり、私の座った隣にはあまり人が座りません。車の中ではすぐ換気されてしまい、まるで公害の様な扱いに悲しくなります。

精神的にダメになってしまい一度飛び込み自殺を図ろうとしましたが家族に迷惑をかけてしまう心配が勝って、やめてしまいました。

しかし、最近ガスが漏れているはずがないのにこういった嫌悪的なアプローチがあるので、自身の体臭のせいなのでは無いかと思って自分なりに対策を調べて実行したり、お腹にも良い食事を心がけていました。

それでも治らないのは分かっていますが諦めてしまうよりかは自分でなんとかしたいのです。

でも最近、疲れてしまって自分が何のために生きてるのか途端に分からなくなり、何もしたくなくなりました。もう嫌悪的な行動をされると我慢できず涙が溢れちゃいます。

公害のような扱いはもう慣れっこです。でも他人に迷惑かけながら何でこうも頑張って生きているのかが本当にわからなくなってしまいます。

自分は誰の為に生きてるんだろう、全然自分の為に生きれてない人生にもううんざりしてしまいます。

病院に行くにも、絶対に治る保証なんて無いし、自臭症(自分のにおいを悪臭だと勘違いする症状)だと言われてしまえばそれで楽なのですが、

だったら今まで傷付いて通えなくなった学校生活や諦めてしまった友人関係全部何もかも無駄だったということになってしまうので、病院で診断されてしまうのも怖いです。

普通に生きて街中で自由のびのびと生きてる人が羨ましいです。街中なんか言ってしまったらビクビク怯えて脚がすくみます。

出来る事なら自分も年相応にオシャレして、周りを気にせず堂々と街を歩いてしまいたいのですが、

ずっと姿の見えない誰かから「お前なんかがそんなことしていい訳ないだろ」と言われてる気分です。
こんな私に生きる意味を教えて欲しいです。拙い文章で本当に申し訳ないです。少しでも前向きになりたいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫ですよ!

拝読させて頂きました。
あなたのお悩みを読ませて頂きました。あなたがご自分のことでひどく悩み辛い思いをなさっておられることを心よりお察しします。あなたが本当に辛く死にたいほどに悩んでいることとてもわかります。
私個人的にはあなたのそのような状況は病気というよりは体質だったり年齢的なことや環境や生活によって影響があるのではないかと思います。
できれば一度専門に相談して診察を受けてみてはいかがでしょうか?そしてあなたの身体の状況を正確に確認してみてはいかがでしょうか?先ずは自らを知ること第一です。
恐らく今ややそのような状況もあるかもしれませんけれども年齢と共にまた状況は変わってくるでしょうし、落ち着いてくるようにも思います。またそれにとらわれ過ぎないことです。あまりそのことばかりに神経を使い過ぎないことです。
日本人は何かときれい好きですから余計に気になってしまうのかとも思いますが、海外の方はそれほど気にしませんし、都心部の人口密集地気にするかもしれませんが田舎はそれほど気にしません。
逆に私達の身体が一生懸命に頑張って休みなく活動を続けているせいでもあるでしょうし、活発な新陳代謝による部分もあるでしょうから健康である証かもしれません。
私も比較的胃腸は弱い方ですけれどもあまり気にしません、逆に出るものはしっかり出てくれた方が安心できます、本来的には出ない方が体には良くないですからね。
あなたが感じるような状況は実は多くの方が持っているのです。先ずは安心して一度診察を受けて自分の体質や状態を知って下さいね。そしてあまり気にし過ぎないことです。

あなたがこれから毎日の生活を健やかに送り成長なさっていかれて充実した未来を送っていかれます様心より祈っています。
そしてあなたを心から応援してます。大丈夫ですよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

死にたくて堪らないのですね

朝日さん、こんにちは。

朝日さんは、ずっと姿の見えない誰かに、お前なんかがそんなことして良い訳無い、と言われてるような気分になっているのですね。

そして、そのことの原因として、学生時代に患われた過敏性腸症候群のこと、ガスが出て悪口を言われたこと。電車や車でのご経験。自死を考えられたこと。

最近はご自身の体臭のせいじゃないか考えておられること、諦めるよりはご自身でなんとかしたいけれども、最近は疲れてしまったこと。

嫌悪的な行動に涙があふれること、どうして頑張って生きているのかわからなくなってきたとのこと。

病院に行こうか考えておられること。

朝日さんの言葉を通して、お聞かせいただきました。

朝日さんは嫌悪的な行動に耐えながら、これまで生きてこられたのですね。男性の私でも辛そうなこと、まして女性ならば特に気になることかと想像いたします。私には想像できぬほど辛い思いをされてきたのではないでしょうか。朝日さん、経験されてきたことをこうして、お聞かせいただいたことに、まずお礼を申します。どうもありがとうございます。

生きる意味ですか。そうですね。しんどいご経験をされて朝日さんはご自身の生きる意味はどこにあるのかを訪ねておられるのですね。

朝日さんのお話を聞いていて、昔、私もある人に、人は何のために生きているのか尋ねたことを思い出しました。その時は、仏になるために生まれたんやと言われたことが今でも頭の中に残っています。

正直、そんな事を言われても、私はピンときませんでした。今でもそうかもしれません。人生を楽しむためとか、私らしい生活を送るとか、いろいろあるだろうに、なんで仏にならなきゃいけないのか…その時の思いは今でも変わりません。

でも、そういう個人個人の事情、仏教ではそれを縁と言いますが、ご縁はみんなそれぞれ違うけれども、みな仏に願われている身です。どうか、仏様になってくれと、仏様に願われているのですね。

診断が怖いというお言葉もあるので強く勧めませんが、一度、医療機関を受診するのは良いことだと思います。傷ついたことが無駄だったとは私には思えません。朝日さんの辛いご経験はきっと、いつか誰かの役に立つはずです。

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

何年前の投稿かもわからないのですが、久しぶりに開いてみました。
励みになるお言葉をありがとうございます。
今も変わらず辛いですが、この時ほどでも無いのかもしれないです。過敏性腸症候群については環境を変えてストレスの要因になるものを排除することで4年の時間をかけて治すことができました。
誰かの参考になりますように残しておきます。

「死にたい・死にたいほどつらい」問答一覧

最悪の事態になりそうで、気が狂いそうです

正気を疑うような内容ですが、本当に切迫しているので、お話を聞いていただきたいです。 本当は表で話したくないのですが、非公開相談はお金がなく、緊急事態なので勇気を出して話します。 最近、家族を殺したらどうなるかという異常な興味と衝動がわいてしまいました。 しかも、性的な欲求も加わっているような感じがするのです。その光景を想像した時に体が性感を感じてしまい、耐えきれないほどのゾワゾワした感覚が全身に広がり恐怖を覚え、今の切迫した状況に陥っています。 恐怖と不安で毎日泣いてしまい、食事も喉を通らず、本当に興味と衝動に耐えきれず家族を殺したらどうしようと動く事すらできず、ほぼ寝たきりの状態になっています。 「大切なものを壊したらどうなるか」という思考から来ているのですが、大切なものは壊れてほしくないはずなのに、それが大切な人ならなおさら命は二度と戻ってこないとわかってるのに「二度と戻らないからこそやってみたいと思わないか?」という思考が頭によぎってきます。 特に一番大切に思っているはずの母にその衝動が向きます。他の家族にも向く事はありますが、母の時ほど切迫しません。みんな同じくらい大切な家族なのですが… そしてなぜか、衝動のほうが強くなり家族への情が消えてしまったような感覚があります。 私は家族に危害を加えてしまう事を恐れているのか、興味と衝動に従えない事に苦しんでいるのか、そもそも興味と衝動が単なる錯覚のか、それすらもわからなくなっています。 楽しいような、笑いそうな感覚もあるように感じ、自分に酔っているような感覚もあります。 私自身が元からおかしいのか、脳がおかしくなっているだけなのか… おそらく加害恐怖なのだとは思います。 母本人は相談を全て受け止めて聞いてくれて、「そうなったとしても反撃するし、グロテスクなものや血を怖がるあなたにはできないから大丈夫」と言ってくれます。 「自分も人も命と人生は一つしかない」「自分の一時の興味のために、大切な家族の一つしかない命も自分の一度きりの人生も壊すのか」と考えたら、少し気持ちが落ち着きました。でも、またいつ興味や衝動が起きてそれが勝ってしまうか…本当に怖いです。 もしこの衝動が消えなければ、家族が傷つかないよう、自殺する事を考えています。それも家族が傷つく事だとわかっていますが… どうか解決のヒントを教えてください。

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

いつ死ねるのだろうと考えてしまう

子どもの頃に「朝起きたら死んでたらいいのに」と思うようになってから、ずっとそういう気持ちがどこかにあります。 幼少期から20代は辛い環境にあり、絶対幸せになるんだと思ってガムシャラに頑張れました。紆余曲折をへて、思い描いたことは手に入れたように思います。はたから見たら何の不満もなさそうな環境にあると自分でも思います。何をぜいたく言っているんだと、お叱りを受けると思います。 でも、心の奥底に、私はいつ死ねるのだろうという気持ちがずっとありときおり顔を出します。 何か楽しみを見つけられたらと色々とやってみましたが、楽しそうなフリはできても本当のところは楽しむことができていません。独りになると、虚しさだけが残っています。 あんなに好きだった仕事にも、楽しみにしていたはずの子どもの成長にも、優しくしてくれる家族や美味しい食事や贅沢なことにも、非道いと思いますが本心では興味が持てず、漫然と過ごしています。 目標にしていた幸せな環境を作ることができたので、生きる目標を失ってしまったからでしょうか?これからどのように生きたら良いのか見出せず、時間が過ぎていく日々で苦しいです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

自分を許せない

生きていたくないですって何度も相談してしまって申し訳ございません。介護の仕事をしていて相手の立場になってやらないといけないのに自分を優先してしまう時もあります。何度も同じことを大きな声で求めてくる方がいます。食後の薬と歯磨きを自分が食べ終わったら一番にやってもらいたいからです。しかし食事介助が必要な方がいるので待って欲しいと伝え少しの間は待ってくれますがそのうち「くれないならいいや」「歯磨き連れて行ってくれないならいいや」と投げやりに言ってきます。食事介助が終わり残りの方の服薬については別の職員に頼んで全盲の方の服薬と口腔ケアを行ないます。居室に歯磨きに誘導する時に「ここはお家じゃなくて他の方もいます、食べ終ればすぐにお薬を出せないです。順番にやるので大きな声を出さないで待っていてください」と強めの口調で言ってしまいます。認知症なので一度、言った事を忘れてしまう事は分かっていますが どうしても強い口調で言ってしまうのです。そんな自分が許せず家に帰って衝動的にリスカしてしまいます。少しでも傷つけてしまった心と同じ痛みを味わおうと思ってです。今までは仕事中でも声を荒げたくなることはなかったですが ここ最近はイライラし通しです。こんな自分を許せません。入退院を繰り返してした時には看護師の方はどんな時でも優しい言葉でした。その経験を受け医療の資格がなくても出来る介護の仕事を選んだのに今の私のやっている事は正反対です。仕事に行こうと思っても精神的に苦痛になります。心療内科の医師は妥協も大事と言ってきますが出来れば自分を痛み付けたりしないです。後悔もしません また仕事に行くと今日こそは優しい言葉で話そうと心で思っていても同じ事を繰り返しています。こんなやさしさの欠片もない私は生きていていいのですか? どうすればこのような私は死ぬことが出来ますか?生きていていいのですか

有り難し有り難し 28
回答数回答 3

自分さえ居なければと思ってしまう

すべての苦しみから逃れたいという気持ちと、自死や自暴自棄などで身近な人に迷惑はかけられないという気持ちの間で葛藤しています。 私の悩みの種の大元は人間関係にあります。周りの人と同じように、誰かと暖かで安定した関係性を築くことができず、それがコンプレックスになっています。つかみはうまくいっても、関係が思い通りにいかなくなるといつも人が怖くなって逃げてしまいます。長く一緒に生きた家族との間でさえなんともいえない気まずさがあります。 人間関係で失敗して誰かを傷つけたり迷惑をかけたなら、反省して同じ過ちを繰り返さなければよいのですが、いつも私は反省するよりも先に拗ねてしまい、「私は相手の人生を損なった。私がいなければ最初から何も起きなかった。こんな私の存在のせいで誰かが不快になることもなかった。」と考え、人と関わることを避けたくなります。そして人とうまく関われない自分には価値がないと思い、自らの人生を虚ろに感じます。そうしているうちにやがて自死について思考が至りますが、私と関わった人に罪悪感を与えたり、家族に迷惑をかけたりする可能性があると思うとできません。自死もまた私の存在によって周りを不幸にさせる行動のひとつだからです。しかしこのストッパーさえなければ私はいままでのどこかのタイミングで自死を選んでいます。「自分が生きていても迷惑をかけるだけだ」と感じたとき、死ぬのもまぁ迷惑だけどそっちのほうがコストパフォーマンスがよく思えてしまいます。 私の不幸の根幹は私の深刻な逃げグセにあるのだと思いますが、だからこそ「変わる努力をしろ」という真っ当な言葉からも逃げたいんだと思います。自分自身の人生から逃げています。 全てが面倒です。 くじけずに生きていくことがすべてだとは分かっていますが、くじけずに生きていくための元気がありません。 自分に生きる価値がないと思っていながらどう生きていけばいいでしょうか。どのように考えればよいでしょうか。どのように考えれば死の魅力から逃れて、自分や他者を大切にできるようになるのでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ