友人に自分の価値観を押し付けそうになる
数年間お付き合いさせて貰っている友人が居るのですが、
最近その人に自分の価値観を押し付けてしまいそうになることがあり悩んでいます。その価値観とは、「(命に関わる場合・理不尽な場合を除き)「辛いことから逃げてはいけない」です。私自身、子供の頃から親にそう言い聞かされて育ちました。
十分に出来ていない面も多いですが、心がけとして抱いており、家庭環境はあまり恵まれていませんでしたが、子供の頃からなりたかった職業を目指し、今は独立しどうにか生計を立てることが出来ました。
友人は、とても大変な境遇の中生きてきて、今までに何度も傷つき、落ち込んでは浮上してを繰り返した人ですが、辛い時、理不尽なめに遭わされた時に、聞いた限りでは逃避を選択することが多いようでした。
繊細な質で、今もコロナ禍の激変に強いストレスを感じているようです。
その人は、私と同じく(別の職種で)夢を持っているのですが、過去にその夢関連で、人間関係で相当キツい体験をしたため、今ではそこで培った技術を「趣味」という形で発散しています。(夢は完全には諦めていないようです)
彼女が「これからは趣味として楽しむ」と言ったならば、私は全く何も思わないのですが…
友人が趣味を本業のように「頑張る、頑張る」という度、私が辛くなってしまいます。その行為自体が代替行動に見えてしまうためです。
また、普段の会話で私の価値観を話すと、友人に対して言っているわけではないのにそれがトリガーとなって友人が落ち込んだり、感情的になることもありました。そんな時、普段から言葉を選ぶのにも気をつけている上、友人を気遣う言葉を捻りだすことが苦しく、いつかキツい言葉で価値観の押し付けをするのではないかと感じ、今は少し連絡を断っています。
私は今までも、相手の「現実逃避行動」にこうした過剰な反応をしてしまうことがあり、それが元で、少数の人としか関われないでいます。その少数の友人関係内で、また同様の問題が頭をもたげたことに、自分勝手ながら困惑してしまいました。
人の人生は人の人生、となぜ思えないのか、そして、友人に今の気持ちのままどう接していけばいいか…(あるいは距離をおくべきか)
すみませんが、どちらか一方でも、もし何か気づきやご助言などございましたら、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
違う生き方をしている人を、認めたくないだけじゃないかな〜。
自分の価値観なんて、自分の生きてきた中で 自分が決めていること。正しいと思っているだけ。どこまでいっても、自分本位でしかありません。
辛いことから逃げてはいけないという価値観が、全ての人に当てはまるわけでもありません。あなたが、そう信じて実行していけばいいだけのこと。
価値観を他人の人生に当てはめることは、ただの余計なお節介に過ぎませんし、言う方も 聞く方も、この人はそうなんだな〜と思えばいいのです。
自分の価値観と違う生き方をしている人を、認めたくないだけじゃないかな〜。
価値観も基準にはなるけれど、目の前の人の想いを尊重してこその友人ではないかしら。
追記。。。
その友人は、アドバイスを求めたのかな?それならば、あなたの意見も大事な意味を持つわよね。
ただ、あなたが思うだけなら、そこは、もどかしくても、本人が経験して気づくのを見守るしかないのかなと。
人は、いろいろなことを見聞きしても、納得出来ることは、やはり実感してこそなのかもしれません。
質問者からのお礼
お忙しい中ご回答ありがとうございます。
おっしゃることはごもっともです。ただ、だからこそ、そうなれない自分に悩んでいます。
また、私もすべての人に同じ感覚を持つわけではなく、文面にも記載しましたが、「目標を諦め好きなことをただ楽しむ」と友人が言ったならば、何のわだかまりもなく応援できるのです。
自分もまだ仕事で十分な成果を出せずにあまり余裕がない中、友人に対し、本当は夢を目指すか諦めるか、きっちり白黒つけた方がいいと感じているのに、それを告げてしまうと今の本人にはきついのではと、かけることばを探し、本音で語れないことが苦しいのです。(でもそれを言ってしまうと、言葉が過ぎて価値観の押し付けになってしまわないかと…)
友人の状況を考えても、迷っている時間があるなら少しでも早く行動した方がいいのは明白で、当人と似た例を私も今までの経験で知っています。目標半ばで埋もれていった人をたくさん見ました。ただ、目標を実現できないこと自体が悪いのではなく、「何となく誤魔化しながら」進むこと、結果、過酷な労働に体を壊し、成果も残せないという現実が待っているかもしれないと思うと…。諦めて違う道に進みます、と、就職が決まってから報告してきた人は、まったく責める気持ちなど湧かず、その決断が出来ることを凄いなと思いましたし、心から応援の気持ちで送り出しました。
長くなり恐縮です。この度はどうも有難うございました。