人生が虚しいです。でも死ねません。
中学生くらいの時から、毎日生きることが辛くなり、ずっと死を意識するようになりました。でも死ぬのは怖いし、死ぬ前の苦しみを考えると死ねません。
私は少しでも嫌なことがあると逃げ出したくなります。人が怒る姿を見るととても怖くなります。人生が嫌なことばかりだと分かりきっていますし、嫌なことの全部から逃げることは不可能なことは分かっています。でも、そう考えると絶望感が増します。逃げきれないなら死ぬしかないと思ってしまいます。
なんとなく生きている感覚があり、人生が空虚だという感覚が消え去りません。何をしても虚しいです。
こんな状態のまま生きていても良いのでしょうか?普通の人にとって、人生は虚しいものでは無いのでしょうか?仏教の観点からは、人生はどのようなものだとされているのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【慈悲喜捨】
私が子供の頃、コーラを飲みながらファミコンをしていると、横から弟がコーラを分けて欲しいと言ってきた。私は「これは俺の分だ」と言って断った。すると、次にファミコンをやらせて欲しいと言ってきた。私は「今は俺がやっているんだ」と言って断った。すると、火山が爆発したように突然、弟は泣き出した。兄である私の主張はたしかにどこも間違ってはいない。しかし、いつまでもわんわん泣く弟を尻目に飲むコーラは全然おいしくなく、ファミコンもなんだか興醒めしてしまった。こんなことなら、コーラもファミコンも弟と分かち合って、お互い気分良く遊べばよかったと後悔したのを覚えている。
誰もが自分の事に精一杯であり、自分の事だけに必死になる。しかし、自分の事だけにしか関心を持たない人生は、なんだかやっぱり虚しいものだ。アンパンマンの作者・やなせたかし氏は、「人生は、よろこばせごっこ」であるとおっしゃったそうな。大乗仏教の菩薩たちも、自分が悟りを開く以上に、生きとし生けるものたちに希望を与える事を大切にしてきた。
モノは試しだ。死ぬ前に、自分以外の他の誰か何かの為に、少し骨を折ってみてはどうだろうか。相手の喜ぶ姿、笑顔、声、他人様から頂戴する労いや感謝の言葉は、きっとあなたの心を浄化してくれる。
質問者からのお礼
転落院様
ご回答ありがとうございます。確かに、人のために生きることが解決になるのかもしれません。
もっと他者を考えられる人間になれるように頑張ります。