今年身内が2人他界しました
今年に入り身内が2人短期間で他界しました。最後まで病と戦い、2人共、痛みをかなり我慢していたにもかかわらず、お見舞いに行った際は笑顔を見せてくれました。あの笑顔が焼き付いて離れません。生き地獄のような日々だったと思います。死後の世界はどなたにも分からないものだと思いますが、天国があるならば今は幸せに過ごせているのでしょうか?生前の苦しみから解放されているでしょうか?私もいつか自分が苦しい中、あのような笑顔が出せる立派な人間になれるのでしょうか?今の自分が色々な悪い感情に支配されているようで、不安です。
初投稿でもしお坊様の目に留まり、貴重な意見を頂けたら有難く存じますm(_ _)m
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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笑顔は、素晴らしい布施行です
人はこの世に生を受ければ、必ず最期の時を迎えます。「天寿を全うした」と本人も周囲も納得出来ればいいのですが、現実には「どうして自分が、どうしてこの年齢で」という場合も少なくありません。苦しい病状の中で、笑顔を見せて下さった御身内の方には頭が下がりますね。きっと大きな宝物をいただいたようなお気持ちだと思います。
仏教の方では、そういう笑顔を見せてくれることを布施行(布施という菩薩行)と言ってます。より具体的にいえば、和顔悦色施(わげんえつじきせ)という布施行です。
仏教の修行というと、非常に堅苦しく苦行的なイメージを持たれる方も多いと思います。でも日常生活の中で、心がけていく中で出来る修行もあります。その代表的なものが、四摂法(ししょうほう)です。以下の四つのことを言います。
1、布施(ふせ) 分け与えること。
2、愛語(あいご) 相手を慈しむ言葉、いたわりの言葉をかけてあげる。
3、利行(りぎょう) すべての人を利益(りやく)する行為。
4、同事(どうじ) 相手との壁を作らず、平等に接すること。
すぐに始められることですが、簡単なようで実行するのはなかなか難しいものです。愛語を実践すると言っても、やはりT(Time)、P(Place、)O(Occation)に合わせ、相手に合った適切な言葉を発するというのは、簡単なことではありません。日々、考え実践していくことが大事です。道元禅師は「愛語をこのむよりは、ようやく愛語を増長するなり。しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前するなり。」(愛語を好むことによって、次第に愛語を口にする機会が増していくのです。そうすれば、今まで言えなかったような愛語も適切に言えるようになります。)と語っています。
文豪吉川英治氏が語った「割れ以外は皆師なり」という言葉は有名ですが、身近な方々の人生から学ばせていただくこともたくさんあります。苦しい病状でも笑顔を見せて、人に力を与えてくれる。そういう人間になることを目標とし、四摂法の実践に努めてみましょう。尚、人間の意志は薄弱なものです、そのため、自分の誓いを少しでも堅固なものにしようとして、神仏に祈り誓います。近くのお寺さんでいいです(菩提寺があるなら、菩提寺で)から、その寺の本尊様に手を合わせ、誓願しましょう。
質問者からのお礼
素晴らしい教えと私の悩みを聞いて頂きありがとうございます。確かに簡単に出来るようで非常に難しい事だと思います。しかし意識するしないで違いますよね!その笑顔を風化させないよう、頂いたお言葉を忘れぬよう紙に書き出し、宝物にしたいと思います(^-^)本当に本当に心に響くお言葉をありがとうございます!!