魂の最終課題が障害者であることを信じたい
聴覚障害者のゲイです。
今まで、親がとある宗教教団に既に入信していて私が生まれたときからずっとその教団のなかにいました。色々と活躍してきたのですが、いじめや障害、肺疾患で欠席の繰り返しなどがあったため、何やっても幸せになれないと思い、20代の頃に辞めました。
教団を離れて洗脳での苦しみやスピリチュアルに関しての様々な考え方を本やネットで色々と学びました。それから今年、コロナ流行を感染し始めた頃に、なぜわたしだけ聴覚障害なのかずっと疑問に思っていたことであの世との関係を色々と調べたら、大衝撃でした。
障害を選んだ人は魂レベルの高い方で最終課題であると知りました。それに生まれる前の自分が転生計画していたことを初めて知り、障害者にならなければいけないではなくて障害者としての苦しい試練のある重大な課題を試されているんだな、としみじみ感じました。
しかし、そのことを信じるかどうか誰にも言えず、健常者には何だか申し訳ない気持ちです。
健常者にその事を教えたらショックを受けるのでないかと思い、誰かに何も伝えていません。私は絶対にありそうな気がして信じたい気持ちですが、人に大衝撃な真実を言わない方がいいか悩んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたの拠り所通りに
こんにちは。
あなたは、「教団を離れて洗脳での苦しみやスピリチュアルに関しての様々な考え方」を学んでいるのですね。そこで自分が「聴覚障害」である理由が、「あの世との関係」にあり、「障害を選んだ人は魂レベルの高い方で最終課題」であると。
そして、自分は「障害を選んだ人は魂レベルの高い方」であり、「苦しい試練のある重大な課題を」課されていると納得している。しかし、「魂レベルの高い方」である自分からすれば、自分の「レベル」未満である「健常者にその事を教えたらショックを受ける」だろうと予測している。だから、そのような「人に大衝撃な真実を言わない方がいいか悩んでいます」とのことです。
あなたは、自分の学んだ「スピリチュアル」の説を拠り所にし、その「スピリチュアル」の世界に生きているのでしょう。では、そもそもその説では、世界観ではあなたの悩みにどう応えているのですか。そこまでカバーしている、或いはしていないどちらでしょう。
仏教では、自分で選択して生まれてきた、とは考えません。
ご縁があったから命を賜った、と考えます。
前世で「自分が転生計画」をして、輪廻転生をするという考えもしません。
むしろ、「転生」すること自体、迷い続けて成仏できなかった末の残念な結果と考えます。
生まれつきに起因する「レベル」の高低なども仏教では考えません。
仏様からご覧になられるならば、人間は程度の差こそあれ煩悩を持った存在であり、その人間同士が「レベル」云々をすること自体、どんぐりの背比べ程度のお話だと考えます。
私は仏教徒ですから、仏教をベースに考えます。
あなたは、ご自身の拠り所があるのだから、その考え方通りに判断すれば宜しいのではないでしょうか。
追記
ご返信ありがとうございました。
お役に立てれば嬉しいです。
仏縁ありましたら、どうぞ深められて下さい。
また、質問お待ちしています。
質問者からのお礼
この説に自分の拠り所があると気付かされました。
なるほど、自分自身が成仏出来なかったためにこの世に生きていることなのですね…。レベルと言ったら様々な説の価値観や見方などが比較されがちで複雑な気持ちですが、それこそ煩悩もあるんですね。レベルどうこうじゃなく、この世で生かされて頂いてるのはご縁があると思うようにします。また何か迷うことや気になる事があれば、相談します。本当に本当に有り難いことを仰ってくださり感謝します。ありがとうございます。