死ねないから生きてるだけ
1年前に仕事を辞め、心を休ませようと少しの間ニートをするつもりがいつしか貯金が底付くまでには死のうに変わり、結局死ねずに1ヶ月ほど前からバイトをしています。
別に仕事がきついだとか人間関係がどうとかそういうのはないのですが、朝起きて鏡を見ると自信が無くなり外に出たくなくなる、仕事中も抜け出したい、終わったら死になくなる、家に帰ってもどうにか今日も生き延びたな〜っていう感覚でもうなんだか生きている意味が分かりません。
趣味はあるけど目標や夢はなく、正確にはあったけど家にお金がなくて結局叶わず、努力はどうせ報われないんだからもう頑張るのはやめようという感じで過ごしてきました。
ただ生きているだけじゃ光熱費や食事でお金はどんどんなくなって行き、親に怒られます。それならもう死んでしまいたい、そう考える毎日です。
私はどうやって生きるべきでしょうか?いやそれよりも死ぬ方法を考えるべきなのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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自分が嫌いだから、目の前のことを好きになることもある
拝見いたしました。
私も大きな目標や夢というものがありません。
でも多くの人はこのタイプなのではないかと思っています。
何か一つのゴールに向かって努力するって、すごいです。
メディアも注目するし、私たちも自然と尊敬します。
それは裏を返せば、私たちが目標に辿り着けないから、夢を諦めてきたから、彼らは魅力的に映るのだと思います。
つまり、世の中の多くの人は夢や目標を叶えられなかった人たちです。
考えてみれば、当然です。
球児の夢である甲子園出場を目指しても、甲子園に行けるのは県で1校くらい。
勝者以外、全て敗者です。
上には上がある。だから甲子園に行けても、優勝できなければ敗者です。
競争社会だから、敗者が生まれてしまう。
SNSで可視化されたから、生活レベルが比較できてしまう。
厄介な世の中だ、と思います。
みんな何かを諦めて、私たちは生きていきます。
でもそれは決してネガティブな意味だけではないと思います。
諦めることによって、見える景色もあります。
手に持っている夢を手放すことで、新しい生活を掴みに行けます。
プロ野球選手を諦めたおかげで、家庭の時間が増えた人もいるでしょう。
大学に行かず仕事に時間を費やしたおかげで、周囲より大人の経験を積んでいる人もいるでしょう。
目標や夢は一概にいいとは言えません。
むしろ目の前の幸せを味わえる人の方が、よっぽど幸せに見えます。
大きな目標とか高尚な夢とか、必要ないですよ。
趣味があるのであれば、それに没頭すればいいんです。
その幸せに浸っていいんです。
自分を好きになれ、とか、私は言いません。
嫌いでもいいです。
ただ好きなことに没頭して幸せならいいじゃないですか。
自分が嫌いなら、自分を好きになる努力をする前に、目の前の好きなことを楽しむことから始めましょう。
その行動は、巡り巡って、自分を幸せにしてくれるはずです。
蛇足:
ちなみに私は自分が嫌いです。
でも趣味は好きですし、仕事の成果で楽になる人がいれば、それでいいです。
自分が好きじゃないから、外側に目を向けることができています。
自分自身を嫌いでよかった、と嬉しく思うことさえあります。
自分を好きにならなくても、幸せにはなれますよ。