世間との距離の取り方を教えて下さい
お世話になります。
社会に貢献もできず、小さいながらでも何かしらの価値を生み出すこともできず、
もやもやとしているだけで時間だけがただただ過ぎていってしまいます。
そんな生活を送っていても、今のような情報化社会では、イヤでもいろんな情報が
入ってきてしまいます。
テレビやネットを見れば、自分のような人間の居場所は無いのを見せつけられているようで、
消えてしまいたくなります。
本当は死ぬのが一番なんでしょうけど、そういった度胸もないので、
なんとか踏ん切りがつくまでは生きるしかないのかと思っています。
しかしながら、社会から完全に離れて暮らすことはできません。
世間のことについても、完全に耳を塞ぐわけにもいきません。
だからせめて、なるべく生きていくのに支障がないレベルで世間から離れたいと考えています。
何かいい案はありませんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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善行
何者でもないさま
あなた様のように思われている方は決して少なくはないのではないだろうかとは存じます。
皆が皆、満足できる居場所があり、満足して過ごせているわけでもありませんゆえに。
また、世間、社会(における多数)が正義で、それが正しくて良いというわけでもありません。
ただ、人間という存在、いや、地球上における存在は、助け合って、支え合って、分かち合っていかなければ、その先は長くはもたないということは確かであります。
それも仰々しく、ボランティアだ、奉仕だ、寄附だとしなくても、身近なことで、できることからで構わないのであります。
電車で、妊婦さんに席を譲ったり、困っている人に優しい言葉を掛けてあげたりなど、ちょっとした親切、気遣いでも良いのであります。
まあ、それも人だけではなく、虫や生き物たちにでも。
普段は何も思わずに殺してしまっている虫であっても、ふと、可哀想だと思ってあげて助けてあげることでも、仏教的には大変価値のある行いであります。
そんな善い行いを一つ二つと積み上げていければ、きっと大きな価値に気付けていけることにもなるのではないだろうかとも存じます。
是非、仏教を修習していって頂けましたら有り難いことでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
放生会やおかげ犬といったことですね。
人から見たら、役に立たないことであっても
その先に何かがあると信じていくしか
ないということですね。