死ぬことに決めたのに死なせてくれない
義理の母には子供の頃から迷惑をかけてきて、怪我をさせたことや所持品を誤って壊してしまったこともあります。父親に騙されて再婚したと言っていましたし、恨まれる理由には山ほど心当たりがあるので、昔から何度も「気持ち悪い」「嫌いだ」と言われても納得できます。自分でも世間様に馴染めない人柄だとは自覚しています。
なのでもう無理に生きていたくないのですが、どうにも母は私のことを「生き汚く悪賢い怠け者」と思っているようです。日々聞かされる私の存在を疎ましく思う言葉の数々に堪えてまで生き恥を晒そうなどとは考えていませんし、昔から考えていることは何もかもうまくいかない空回りの人生で悪知恵などあろうはずもありません。怠けたいのは事実ではありますが、そんなぐうたらな人間に生きる価値などないことも百も承知、なので死にたいのです。
こういった話をどこにしても、「母は本当は私のことを想ってくれているよ」と知ったようなことを言われます。そんなこと万が一もないのは、一つ屋根の下で暮らしている自分が一番理解しているのだから、そんな無責任な慰めで我慢を強いられるのは納得がいきません。もう何かを耐えてまで生きていたくなんてないんです。
でも父は悲しむでしょう。口数が少なく何を考えているかわからない父ですが、多分悲しむんじゃないかな、とは思います。母から、未だ学校生徒の、自分の腹を痛めて産んだ子供たちの目の前で日常的に離婚を求められていてまで、仕事をしていて生きてて楽しいのかな、とは思いますが、これ以上の心理的負担に耐えられるか心配なのは事実です。
お医者さんに今度かかることになりましたが、初診の日まで母の「はやく消えろ」アピールを耐えてまで診療してもらうような理由がないというか、そこまで人生に希望が持てません。なので次に何か耐えられなくなったら、もう現世の人間関係なんてどうでもいい。自分ひとりだけでも楽になりたいので、死ぬことにします。
母はヒステリックでなんでも決めつける人なので、私が死んでも見当違いのことしか言わないでしょう。それは生きて聞いた人が勝手に解釈すればいい。
せめて、本当はなんでこの人は死んだのか?というのを、どこかに書き残したかったのです。これを読んだ人にだけ、理解してもらえれば、それだけで生きてて満足でした。もう何も要りません。今は死だけ欲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんな母なら、縁を切ればいい。母を捨てたらいいのです。
ジワジワと、追い込まれてきたのですね。あなたの存在価値をずっと否定されてきた。生きていても、仕方ないと。
そんな母なら、縁を切ればいい。
心の中で、母を捨てたらいいのです。
一緒に暮らしたくなければ、家を出ればいい。もう干渉される必要もなくなりますよ。どうしたら、自立していけるのかを、お医者さんに相談するのもいいんじゃないかしら。
治療だけが、病院ではありません。
どのように付き合っていくのか、支援があれば聞くのもいいでしょう。
ハスノハだって、繋がっていけばいい。
死ぬ前に、本当に未練はないですか?
母から離れて生きる道だってあるのではないですか。
追記。。。
行き詰まってしまいますよね。
あなたは、迷惑をかけるだけの存在ではないのに。悔しいですよね。
優しい言葉すら、求めてはいけないのかしら。親に。。。
せめて、ハスノハに。
ここでは、いつだって、あなたの味方ですよ◎
家を出られたら
20代とありますから、とっとと家を出たら如何でしょう。そんなお母さんと一緒に暮らしているから生きていく希望みたいなものが見えなんだと思うんです。環境が変わればものの見方も変わると思います。
かく言う私も、家庭的な問題じゃないんですが、生きていても仕方ないと思っていた時期もありました。今も正直、家庭のなかにあまり生きる希望が見出せません。あえていうと子供たちの存在だけが家庭のなかで生きる理由です。あとは家庭に求める者はなにもありません。
でも、家庭以外のところでは生きる意味みたいなものを感じることがあります。あれをしたい、こうなりたい、というものがあれば前向きに生きられます。そして、前向きに生きられれば仲間も出来ます。仲間ができたら家族は必ずしも必要じゃなくなります。
このまま家においでになると、生きている意味が見いだせないままだと思うんです。どんな状況なのかよくわかりませんが、可能なら家を出て生活してください。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
一緒に暮らしたくなくて、一人暮らしをしていたのですが、自分は親の言う通り怠け者だったようで仕事が長続きしませんでしたし、母には昔から「お前は一生親に迷惑をかけて生きる障碍者だ」と言われ続けてきたので、やはり自分は母と一つ屋根で暮らすか、あるいは命を捨てて地獄へ落ちるかの存在なのだと思います。母に迷惑をかけない生き方は、どこか別の職場とか周囲の人間に自分という迷惑を背負い込ませる行為ですから、結局はたらい回しで誰かを不愉快にさせるてしまう、そのような人生は恥であり御免だと、そう考えています。
そのあたりの、自立の上手なやり方などをお医者さんに聞ければいいな、とは思っています。
未練というか、やりたいことならある程度はあるのですが、母の投げてくる言葉に耐えてまでやりたいことか?母はそれをくだらない、無意味で無駄なことだと否定するに違いない、と考えると、それくらいなら今すぐ楽になってしまいたい。堪え性がない駄目人間なのでしょう。
結局は甘えなのかもしれません。自分に甘く、他人に厳しい。こんな私がこの世にスペースを取っているのが、とても居心地が悪いです。
母を捨てようにも、母には多くの借りがあり、それを返さずに勝手に死ぬのはワガママだ、せめて稼いでから死ね、とのことで、家から出す気もないでしょう。このままじわじわと苛め抜き、積年の恨みを私で晴らす心積もりなのです。恨みの正統性は私が保証しますが、残念ながら私はその怒りを全て受け止めきれるほど頑丈ではなく、それがまた申し訳ない。最期の生きる意味であるサンドバッグすら全うできない。
私は医者に診てもらえば治り、世間に顔向けできるようになるような、そんなまともな存在なのかと、いつも疑問に感じます。私は医者にかかっても許されるのでしょうか。仮病に過ぎないと、母は毎日断言しています。家が貧乏なので、私の不調など気にしている暇はないのかもしれません。
家を出るにも、家にとどまるにも、どん詰まりなのだと、言葉を入力してみてわかりました。追い詰められたから仕方なくやるのではない、自分の意思で覚悟を持って行動を起こす、そんなタイミングは既に過ぎているのだと。
現状を再確認することができました。お医者さんに話すことがまとまったように思えます。それまで生きられるかはまだ不安ですが、漠然と薬をもらうよりはずっといいことです。ありがとうございました。