何れ死に行く残された者の生きる意味
主人が亡くなり半年程です。 42年程前に遠距離恋愛時貰った優しい主人の声の入ったテープを毎日仕事から帰ったら聞いています。朝主人を探してしまったり、ふと「あのね」って傍に話し掛け亡くなった事を思い出し泣いたり、まだまだ心が受け入れてない状態です。
亡くなる1週間ほどは食事も取れず大好きな入浴も1ヶ月程出来なかった主人。それなのに、主人に悪いと思ってシャワーにしてたけれど寒くてお風呂を炊き、働くのでやはり食事を取る。主人は許してくれるだろうけど、自分が許せない、心は早く傍に行きたいのに、まだまだ生きようとしている自分がいる。
死ぬのは恐くない、主人が待ってる。でも自死は自立したとは言え子供達の為にいけないのでは、生きる為病と戦った主人はどう思うだろうか、やはり受け入れて貰えないだろう。
毎日毎日同じ事を考え、なぜ生きているのか、生きていいのか、必ず死ぬのなら何故今生きるのか、傍に早く行きたい。
生きる意味、問答で幾度となくなされていますが、もう60過ぎて41年程の結婚生活で今1人なる、辛くて辛くて、教えて下さい、この思いをどうすれば良いのか。楽しい事考えてと子供は言いますがそれも中々出来ません。宜しくご回答お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生きる意味はご主人様が教えてくださっています。
こんばんは。亀山純史と申します。
ご主人様がお亡くなりになったことに対しまして、心中お察し申し上げます。
あなたのご主人様は、大いなる命の働きの世界―これを私の宗派(浄土真宗)では「阿弥陀」と言っています―に還っていかれました。この大いなる命の働きの世界は、私たちの命にも働きかけてくださっている世界です。 しかし、この世に生きる私たちと、ご主人様が往かれた世界との間には、大きな隔たりがあります。ご主人様が往かれた世界を悟りの世界と言うならば、この私たちが生きている世界は煩悩の世界です。そのような大きな隔たりを結び付けてくれるのが、「合掌」です。
さて、私たちはいずれ死にゆく存在です。だからこそ、私たちにはどう生きるかが問われるのです。ちょうど、ガラス細工は壊れやすいものだからこそ、丁寧に扱おうとします。決して、壊れやすいものだから、丁寧に扱ってもそのうち壊れるものだから、丁寧に扱っても意味がない、とは考えないように。
そうして、遺された私たちがどう生きるかは、故人が教えてくださっているのではないでしょうか。ご主人様は、「私の死を無駄にしないでおくれ。」と遺されたご家族に語りかけていると思います。是非、手を合わせ、合掌をしてご主人様と対話をなさってください。ご主人様はあなたに生きる意味を教えてくれることと思います。
以上が私からの回答です。まだまだ涙が頬を濡らす日々が続くことだと思いますが、少しでも、私からの回答がお役に立てれば幸いです。
こんにちは、あんさっこさん
はじめまして、北海道白老のはくりょうと申します。
お悩み、読ませていただきました。
まずはご主人のご冥福をお祈りいたします。
大変な闘病生活でしたね。ご苦労が目に浮かびます。
亡くされてまだ半年。こころが受け入れてくれるなど、まだまだ先の事です。今はじっくり、悲しみと思い出に浸るべき時だと思いますよ。
ご主人の全てがあんさっこさんのこころに有り、ご主人の半分がお子様方の体に有るでは有りませんか。
40数年前の肉声テープ。現存していることに、ご夫婦の仲の良さと深い愛情を感じます。これからもご主人に話しかけ問いかけ、声に聞きほれていてください。
あんさっこさんの、こころの安らぎをお祈りいたしております。
はくりょう拝
質問者からのお礼
早々の優しいご回答有難うございます。このまま声を聞いて、主人と話しをしていきます。
ご回答有難うございます。読みながら涙が出てきました。会いたい気持ち話したい気持ちが込み上げて来ました。もっと主人と手を合わせて話します。