お坊さんは死ぬのが怖くない?
前に授業で仏教について習った時、仏教の最終目的は解脱して輪廻転生から抜け出し、あらゆる苦しみから解き放たれて「無」になること、と習い、驚きました。私は自分の意識が無になることが1番怖いと思います。お坊さんは死ぬのが怖くないのだろうか?と不思議に思いました。どうなんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【むなしくなりなんや】蓮如
「三身修道」
ささきさま
まず、仏教は、「無」(絶無・虚無)になることが目的ではなく、「苦しみを無くすこと」と共に、大乗仏教においては、一切衆生を救えるようになるための悟りを得ることも目的となります。簡単に申せば、仏陀になるための法身(真理のお身体)と色身(法を説き示していくためのお身体)の二身を得ることを目指します。
もちろん、輪廻から解脱した者で、仏陀にまで至らない、至っていない阿羅漢や縁覚、独覚と言われる者たちもおります。
また、私たちは、死すれば意識が「無」となり、何もかもが無くなってしまうと考えてしまいがちですが、死によって、粗い意識が止むと、(輪廻に関わる)より微細な意識が働きだして、業の力と共に、次の輪廻へと向かってゆくものであると考えるところとなります。
この微細な意識を利用して、死の過程を修行に役立てる「三身修道」というものが、チベット密教においてはあり、それは非常に重要な修行の一過程と考えられています。
もし宜しければ、「ゲルク派版 チベット死者の書」(平岡宏一先生著・学研プラス)から、死の過程における意識の構造について学ばれて頂けましたらと存じます。
ご質問のお答えとしましては、一応、三身修道を行っている、もちろん、まだまだの未熟者ですが、「怖い」というよりも、ちょっと「楽しみ」な感じになってきているという感じでしょうかね。。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございますm(__)m
解脱した人の中にも色々な種類があるんですね。
「楽しみ」に思えるって凄いですね…。良いなって思いました。
「虚しく過ぎゆく生」は確かに怖い…。今を生きろってよく言いますけど、難しいなあと思いつつもそれがすべてだったり…。