私の嘘は、家族の死後、ばれますか?
家族のために「●●さんが免疫力を高めるために身体を動かした方がいいって言ってたよ!」とか「●●さんが寝ながら食べない方がいいよって言ってたよ!」などの家族に必要な嘘をつくことが多いです。
私自身、生きるのに困った時、本当に複数の障害を持っているので「●●さんが障害者手帳を取得した方がいいって言ってたよ!」どこかに通った方がいいと思った時「●●さんが作業所に通所した方がいいって言ってたよ!」と、自分に必要な嘘をつくこともありますが、本当のことが言いづらいからつく嘘なので騙すつもりではありません。実際、これらの嘘は役にも立っています。
死後、家族が亡くなった後、私の嘘は家族にばれるのでしょうか?
もしも嘘がばれたら家族は怒ったり悲しんだりすると思いますか?
また未成年の頃、不良に憧れ、犯罪も家族に内緒で起こしました。悪気はありませんでした。もちろん今は懺悔して犯罪などの行為はしていません。
これら全て家族にばれ、家族が怒ったり悲しんだりしたらと思うと不安です。
自分勝手な悪事に関しての質問なので申し訳ないのですが、教えて下さい。お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心配はご無用。
私たちの宗派のお経の中に、方便品というお経があります。
真実を伝えるために、仮の話をする、たとえ話をしながら、相手のレベルに応じたことを説いていくのです。
子供に対して、危険なことや、誤った道に行かないように、様々な表現を使いながらら回避させます。大人になって笑えることも多々ありますが、その時は、それで回避できたので結果オーライです。
はなこさんのお答えになっていないかもしれませんが、そこひ真実があるのならば、自信を持っていればいいと思います。
はなこさん自身も過去の出来事を反省しておられますが、今、真面目に前向きに生きることができるのも、過去のことがあったからでしょう。正当化する訳ではありませんが、それも必要なことであったのです。
ご家族にもいずれは様々なことを理解して頂けるのではないでしょうか。
それが死後であってもいいのです。その方はストレートに伝わる場合もありますから。心配はいりません。
又、こうして今生、家族として縁を頂いたのも、お互いに経験しなければならないことがあるからです。
これからも前向きに、楽しく生きましょう。
嘘じゃない部分もあるけど、嘘の部分は謝りましょう
今までも、自分の言動を振り帰り、反省しておられるんですね。そういう姿勢はとても立派ですね。「嘘も方便」という諺がありますが、仏教的には正しいとは言えませんが、誤りと断ずるものではないと思ってます。方便とは「悟りに近づくための方法や手段」という意味です。相手を正しい道に導いたり正しい道の歩みを励ましたりする言葉なら、仏教的意味での「方便」と言えるでしょう。
1、「免疫力を高めるために身体を動かした方がいい」は、一般論としては間違っていないと思います。
2、「寝ながら食べない方がいい」は医学的に正しいかどうかわかりませんが、マナーとしては正しいと思います。
3、「障害者手帳を取得した方がいい」「作業所に通所した方がいい」は、障がいの内容にもよるでしょうが、アドバイスとして正しいと思います。
「●●さんが言ってたよ。」という部分は嘘になるかもしれませんね。但し、話の内容に説得力を持たせるため、他の方の発言を借りることは決して間違いではありません。何かの機会に「●●さんが」の部分を「先輩から勧められた」「本で読んだ」「先生から聞いた」と正しい内容に訂正したら、良いと思います。伝えたい内容自体は嘘偽りではないと思います。でも、「説明の仕方にちょっと嘘があったかもしれません。ごめんなさい。」と家族に謝った方が良いと思います。伝えようとしたことの意図を説明し、「話の一部に嘘がありました。ごめんなさい。」と謝った方が良いですよ。そうすれば、許してもらえると思います。
「悪気がなかった」という言葉は軽々と使うべきではありません。姑息な自己弁護にしか聞こえません。悪意が無くても、私たちは他の方に怪我を負わせることがあります。悪意が無くても、自分の発言が他の方の心を傷つけることがあります。そういう時、誰もが「悪気が無かった」「知らなかった」と弁解したくなります。でもね、自分の行動や言葉が他の人を傷つけたり不快にしたりした場合は、まずは謝るべきです。傷ついた相手の立場を考えてあげるべきです。
黙ってしても、嘘はバレてしまうものです。バレることを心配してビクビクして暮らすよりも、正直に説明して謝る方が良いと思います。謝った方が、スッキリすると思います。