受験がなくなって欲しい私を叱ってください
受験生です
志望校合格はかなり難しい状況にあると認識しています
私は中高で勉強を余りしてこなくて、受験勉強を始めても受験の範囲外の事、
英語の言語史や数学なんかだと理解する毎に新しい疑問が生まれてくるため、そういう事を調べていた事で受験範囲がかなり不完全な状況にあります
これは全て私の責任であり、諦めるつもりはありませんが受験に失敗したとしても納得はできると思います
しかし、私よりもずっと頑張っている方が「新型コロナウイルスの影響で受験が予定通り行われなかったら、中止とまでは行かなくても勉強した事が無駄になるような変更があったらどうしよう」と不安を感じており、
それを聞いて私は「そうなればいいのになぁ」と思ってしまっています
それに期待して勉強をさぼるとか、そういうつもりは無いのですが、私のような者がこんな、真面目に頑張っている人を貶めるような気持ちを持っている事が申し訳ないです
私を叱ってください
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生きてる限り、ペーパーテスト以外の試練も続きます
試験勉強していない状態で試験を迎える時の心境、確かに嫌ですね。後悔する。その一方で、「天変地異でも起きてこのまま試験が中止になったらいいな。」と思う気持ち、わかるよ。私も、勉強不足の状態で試験に臨まざるを得ない時、そう思った時がありました。
高校の時は赤点取ったのは、一回で済みました。大学では、何度か討ち死にしました。私が大学生の頃の講義は「優・良・可・不可」(今は、ABCD)で評定され,不可だと単位を落とすことになります。最近の大学は試験では無く、レポート提出の方が多いようですが、レポートの方が更に厳しい。きちんと基本書を読み参考文献をあたらないと、ちゃんとしたレポートは書けません。今の時代は、手抜きしたがる人はキイワードをwebで検索してコピーして貼り付けて提出すると思います。教授の方はそんなこと先刻承知です。私も大学の講師をしてレポート採点の経験がありますが、自分の専門分野に関しては手抜きレポートなんてすぐわかります。
相対的な評価で、他の生徒が失敗を願いたくなる。そう思うことがあってもおかしくありません。他人の事故や病気の期待してしまうことは、誰でもあると思うよ。でも、それがいけないことがわかっているかんじき君は立派です。1回2回相対的な評価の順位が上がったところで、実力の伴わない順位なんて虚しいだけだよね。
学校に入るにしても、就職するにしても、資格を取るにしても、他人と競争せざるを得ません。人類の歴史と共に、競争や試験は繰り返されてきました。狩猟文化の時代は、投石や弓の能力が試されたと思います。文明が成立して、数学医学科学や文章力の能力を競わされるようになったと思います。
会社に入ったって、営業力や交渉力や調整力という能力が求められ、競わせられます。ペーパーテストでは無くても、生きている限りいろんな競争がありいろんな職能の考課を受けるのです。
やらされている勉強、やらされている試験は、苦痛かもしれません。でも、そういうプロセスを経て、勉強の仕方を学び、学ぶこと研究することの楽しさがわかるようになるのです。楽しくなるためには、地道に学び苦しむ時を経験するしかないのです。明日の自分をつくるには、今の勉強から逃げることなく、立ち向かうしかないのです。
『地獄の運動会』唄・嘉門達夫
https://www.youtube.com/watch?v=1SBfnG2o0Co
大丈夫。
みんなキミと似たような事を一度くらいは考えるサ。
それを申し訳ないと思える良識を持っているキミは、むしろすこぶる健康なほうさ。でも、今はそのことを考える時期じゃあない。
さあ、もう余計な心配はしなくていいから、勉強に集中!! 集中!!
人の不幸は蜜の味
誰もがそう思ってしまいます。
でもそんな蜜の味は長続きしません。
自分の蜜を味わうしかないんです。
受験制度の理不尽さは誰もが認めるところですが
それ以外の良い方法が無い…。
受験生全員が同じ条件ですから不公平ではない。
でも不公平でないだけに
各々の努力がはっきり出てくる。
このような状況は
生きておれば人生いくらでも出てきますから
その訓練だともお考えください。
質問者からのお礼
回答を受け、自分でも色々考えて、これはもう仕方のないことで
私も試験がなくなる事を不安に思えるほどに頑張ってしまえば、その方に胸を張れるんじゃないかと思いました
お答えいただきありがとうございました