自分の事が惨めに思えて仕方ない
以前にも相談させてもらった者です。
また、参考にさせてもらいたく意見を聞きたい事があります。
今、私は自分の事が惨めに思えてしまう事がしょっちゅうあります。
幸せそうな人を見たり、その人と話をしたりした時には、羨ましいなぁ自分にはそんな幸せくるのかなって思えたり、自分はまだ結婚もしてないし子供もいないからダメだなってそんな自分が惨めに思ったり、仕事をしていても、一生懸命に仕事をしていてもいいように使われてしまうだけだし、自分は必要とされてない除け者にされている。能力がないと思われて使えないと思われているからダメなんだって思えて惨めな気持ちになったり、貯金も詐欺にあってしまい騙しとられてしまった分があればもっと生活もらくだろうしって思えてお金がないって惨めになってしまったり、とにかく色んな人と色んな事を比べてしまって毎日惨めな気持ちになってしまっています。
他人と比べる事は意味がないし、自分を自分で不幸にしてしまっているってのは頭では分かっているのですがやめられないし、色んな考えがとまりません。
鬱病なのかもしれないと思ってしまって毎日苦しくなってしまいます。
自分の事を惨めに思ってしまうこの考えを変える良い方法が何かあれば教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私もしょっちゅ自分は惨めだと思っています
私もあなたと同じでつねづね自分を惨めだと思っています。また仲人夫婦に詐欺まがいの仕打ちを受けて続けてきましたから人間不信(夫婦はお寺生まれの住職夫婦)にも苦しんでいます。過去に目をやれば私もあなたと同じです。
ただ、過去に目をやればたいがいの人はやっぱり後悔の連続だし惨めにお感じになると思うんです。ぜんぜんそんなふうに考えない人の方が珍しいんじゃないですか。誰にも上には上がいるわけですし。
じゃ、どうするかというと過去を見る方向から将来に向けて目のつけどころを変えるしかないことになります。将来設計とか、20年後の自己像に向けて歩くとかですね。過去なんて変えようがないだし、過去を振り返れば後悔ばかりになるのは当然なんだし……。じゃ、明日どうするかを考えるより他にないですよね。
私は、カナダの日系人のことを調べています。私が住んでいる滋賀県からたくさんの人が移民されたからです。その人たちがバンクーバーで野球チームを作りました。「バンクーバーの朝日」も作られました。検索してみてください。
戦前の日本人は身体が小さくてパワーでは白人のチームにまったく歯が立たない。じゃ、自分たちの体が大きくなるか。だったら頭を使おう。守備を磨こう。そう方針転換した後、アマチュア野球では屈指の強豪となりました。
どうやってきたらダメだったかを考えたら、おのずとどうしたらブレークスルーできるかも見えてくるということなのでしょう。パワーのある連中にパワーで対抗しても勝ち目がないということが分かったから、自分たちに適したやり方を感が出すことができた。だとすれば、他者の長所が見えるのも悪いことじゃないはずです。それを劣等感のタネにしがちではありますが、彼はどうやって成果を出しているかと観察すると自分の肥やしになりませんか。前を見るようにするともののとらえ方も変わってくるのではないでしょうか。