表面的に普通の人生なのに死にたいです
こんにちは。
来年から大学院への進学も決まり、あと2年は流れに身を任せればなんとかなります。普通に見れば、成功でも失敗でもない、まずまずの人生です。
でも、最近死にたいという気持ちがとても大きくなってきました。
今は、小学校の免許を生かして小学校の非常勤教諭として働いていますが、辛いです。
というのも、私は過去に虐待を受けていました。それに気がついたのも最近(3年前くらい)で、大学の授業を通して、私は虐待を受けて育ってきたのだと知りました。
今、私は自分が卒業したのと同じ小学校で非常勤教諭として働いています。けれども、私が目に見えて虐待を受けていたのに当時の先生は誰も助けてくれなかった、という不信感が募るばかりです。大怪我をして学校に行っていたのにだれも助けてくれなかった。気づいてくれなかった。大人は誰も助けてくれない、と。信用できません。
本当は出会う人を信じたい、頼りたいのに、それができず本当にしんどいです。自分の生きている意味がわからなくなりますし、助けてもらえない自分は生きている意味がないのだと思います。
もっとも、小学校という職場は頼りあうと言ったふうではないので、個人で頑張っている感じで、そもそも一人ぼっちなのもしんどいのですが。
私の精神が安定しないのはきっと虐待を受けてきたからだろうと思うのですが、それを証明してくれるものはなく、ただ心の弱い人、面倒くさい人だと思われるのが本当にしんどい。誰も分かってくれないのだと思います。
私は、小学校では元気な人、家に帰れば死にたいと思うくらいしんどい人、というギャップをうまく扱うことができません。家に帰ると、本当に首を吊ってみるくらいしんどいのです。(いつも気絶して失敗するのですが)
こういうことも含めて、将来も心配です。将来、小学校の先生になろうと思っていたけれど、これだけ記憶がフラッシュバックする場なのなら、やめた方がいいのではないかと思います。でも、そうしたら何になれる?なんになる?と自問自答の日々です。
どうか助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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守ってもらえると感じるところへ
もか 様 相談ありがとうございます。
そうですか、虐待を受けていても、小学校の先生になろうと頑張っていて、院の進学まで決めたのですね。あなたは素晴らしいですね。尊敬します。
でも、しんどいのですね。
「私の精神が安定しないのはきっと虐待を受けてきたからだろうと思うのですが、それを証明してくれるものはなく」は、あなた自身が証明していますね。
養育者・保護者による、明らかな虐待とならずとも、厳しく育てらた、命令されるような言葉の暴力を度々受けた、精神的なプレッシャーがあったというだけでも、大人になってから人との繋がりが不安定だったり、孤独を望んでいないのにそうなってしまうということが起こってきます。フラッシュバック・トラウマなど生じているとすれば愛着障害と考えられたりします。
さて、それを克服するには、あなたにとって、安全基地のような存在・人物はいますか?安全・安心感を感じるところです。
そして、友人でもいい、恩師でもいい、お坊さんでもいい、セラピストでもいい、あなたが本当に頼りになると思っている人に、共感してもらうことです。あなたの心の辛さを聴いてもらうことです。そして自分の心情を吐露して、聴いてもらって、守ってもらえる!と感じた時に、その辛さから解放されていくでしょう。
さらに、自分に思いやりを向けて、自分を責めないことです。あなたの体験している辛さは、あなたに責任ではありません。ですので、自分を責めずに、自分に優しく、癒して、あなたの中に眠る心の温かさを感じるようにしてください。
そうして、温かさを伝えるような他人との繋がりをもてれば、小学校の先生として、子供たちにも横の関係で、思いやりを伝えあえる笑顔の先生として、あなたは成長していくでしょう。
応援しています。m(__)m