常識の違いについて
私は
常識とは 各々の価値観はあるが、それがあった方が、社会生活や人間関係が円滑に進む、共通の認識
だと考えております。
また、そこには善悪の基準が、密接に関係しているとも思います。
挨拶をする、してもらった事にはお礼を述べる、間違ったら謝罪をする、質問されたら答える、などが当たると考えています。
最近、家族間で揉め事がありました。
義理の妹が私にした頼み事に対して、お礼を言わなかったことが発端です。
お礼を目当てに親切をしたわけではありません。ですが、一言、ありがとうございました、があれば気持ちよく終われたことです。
対して夫である弟と、両親は
「常識って何だ」「お礼を言わない人なんかたくさんいる」「そんな事を言うなら親切なんかするな」「言葉にはしていないけど感謝していた」「お礼を言われないからと腹を立てる方がおかしい」、と、折り合うことが叶わず、私は孤立している状態です。
「家族なんだから」とも言われました。親しき仲にも礼儀ありではないのでしょうか。
他人であれば、距離をおけば良い事ですが、ある程度の良い関係性を保ちたい肉親、家族である場合、お互いに気持ちよく過ごす努力は必要ではないのでしょうか。
同じ思いをしたくないので、今後義理の妹に今回のように親切にすることはありませんが、これからこの家族とどのように付き合って良いのか、困惑しております。
正直に申し上げれば、不義理をした義理の妹の肩を持つ実の両親と弟に、とてもがっかりしました…。
お坊様のご意見をお聞かせいただけませんか。よろしくお願いいたします。
静かに暮らしたい。
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自分をより客観視する必要性
こんにちは、初めまして。
「不義理をした義理の妹の肩を持つ実の両親と弟に、とてもがっかりしました」とのことです。「義理の妹が私にした頼み事に対して、お礼を言わなかった」ことが原因なのですね。
第三者からすると、今回の「頼み事」の内容やその前後でどのような会話が交わされての結果なのかは分かりません。ただ、「頼み事」が大事小事に関わらずお礼が必要であろうことは論を待ちません。この意味で私はあなたの意見に同意します。あなたは自分なりに「常識」を定義していて、とても冷静に物事を見ることが出来るお方のようです。私は、その定義にも同意します。
「親しき仲にも礼儀あり」、誠にその通りです。
「言葉にはしていないけど感謝していた」というご両親達の弁護は、ちょっと苦しい言い分のように思います。
ただ、「常識」は「常識」でよろしいのですが、人付き合いをしていく上ではやはり柔軟性を持った方が衝突が少ない、ということも併せて考えて欲しいと思います。それはあなた自身が常識の定義で書いているように、「各々の価値観はある」という前提を大切にするためです。
あくまで「常識」とは、今生きている人間の「各々の価値観」における最大公約数です。もっと言えば、あなたの思うところの「常識」とは、あなたのストライクゾーンにおける「常識」なのであって、一般の「常識」の方がもう少し広いゾーンを持っているのではないかという可能性をもって見るべき、ということです。つまり、現代一般の「常識」=あなたの「常識」とは限らない、ということです。
自分をより客観視して謙虚になる、これは人付き合いにおいて必要な視点だと思います。
また、「お礼を目当てに親切をしたわけではありません」とあります。あなたの意識としては事実そうだったのでしょう。しかし、お礼がなかったことで「気持ちよく終われ」なかったのも事実ではないですか。さすれば、あなたは心の底で「常識」通りに「お礼」があることを予想していたから、そぐわない行動をされて心中穏やかでなかった、と考えることが論理的必然だと思います。こういった面でも自分を客観視する必要性があるかもしれませんね。
ご両親と弟さんも、本来肉親でかばうべき存在であるあなたを「孤立」状態にしたのは感心できません。しかし、相手を変えることが難しい場合は、自分が変わることが最も現実的だと思います。
【布施の三忘】
【布施の三忘】
一つ目は、何を施したか。
二つ目は、誰に施したか。
三つ目は、施したことそれ自体。
お釈迦さんは、善意で誰かに何かを施したときほど、片っ端から全部忘れなさいとおっしゃった。
あなたのお気持ちもおっしゃる事も、人情としてわからないわけではありません。しかし、お礼を言う言わないは相手の勝手です。感謝するもしないも、やはり相手の課題であってあなたの課題ではないのです。
金品などの報酬は当然の事ながら、たとえ社交辞令の謝辞ひとつでも欲しければ、あらかじめそのように契約を取り交わしておくべきだったのかもしれません。たとえ相手が不義理でも、「礼のひとつくらいよこせ」と言ってしまった途端、相手からはマウントを取られた、恩を着せられた、弱みを握られたとさえ思われてしまうかもしれません。せっかくの善行も台無しになってしまうというものです。
常識ではなく良識
おいもさんのお悩みスッキリしないですね。
常識されど常識で、おいもさんが言われるように、
>各々の価値観はあるが、それがあった方が、社会生活や人間関係が円滑に進む、共通の認識だと考えております。
私たちも、意外と軽々しく常識と言っていますが、この常識と言うのはあくまで個人の都合です。状況が変われば、どんどんと変わっていくのが常識と呼ばれる曲者ですね。時代や場所、立場が変われば一瞬にして変わるのが常識です。
それほどまでにいい加減なものだと思います。
ゆえに常識がない奴だとよく耳にしますが、そんなのは都合でしかないのです。
さて、ご家族間と言えども、個人の集まりです。当然、価値観も教育も躾も微妙に違います。ゆえに、しっかり伝えたいことは伝えないと誤解を招くでしょう。
今回の義妹の件は、又、少し違うので常識とかで解決しようと思わない方がいいかもしれませんね。価値観がみんな違うのでいつまでも平行線です。
それに、これからは親切にしないというのもいささか違うと思います。それは見返りを求めていることになります。
それでは家族としての絆もつながりも無くなってしまいます。あくまで人のためにが自分のためになっているのだと思いましょう。
これからは常識ではなく良識でいくべきでしょう。
一線を画す。
ご質問拝読いたしました。
お怒りごもっともです。
内容が何であれ、
人にものを依頼したら、
ありがとうございます!
と言うのが常識だと思います。
愚僧は感謝できない方とは、
一線を画すようにしています。
他人だろうと、
親族でろうと、
目上であろうと、
誰であろうと、
ありがとうございます。
は大事にしています。
ありがとうございます。
の語源は、
有難しです。
まさに有り難いことに意味します。
神仏に対する言葉は、
常に有難しです。
仏恩報謝 です。
そんなことを言えない人と、
一線を画してもいいと思いますし、
庇うご両親さまや弟さまに、
ガッカリされたのも、
よくわかります。
ありがとう!と言う言葉は、
感謝の気持ちですね。
愚僧は大事にしたいと、
思っています。
愚僧は会社を経営していますが、
採用面接で、
ありがとうございます。
と言えない方は、
絶対に採用しません。
キャリアも職務経歴も
関係ありません。
こちらも面接にお越しいただき、
ありがとうございます!
と申し上げます。
あなたのその価値観は、
大切にしていただきたいと、
思います。
当面、
御親戚付き合いを、
遠慮してもよろしいのでは、
ないでしょうか?
ただし、
口論はしない。
真摯にお詫びしたら許す。
この2点は
よろしくお願い申し上げます。
どうかお幸せに
お過ごしくださいませ。
質問者からのお礼
早速ご回答をくださり、ありがとうございました。いただいたご意見を踏まえ、今後の歩み方を考えます。
花山雲吉様
否定もせず、お返事をくださってありがとうございました。力強いお言葉に、救われました。
親戚付き合いは、当分遠慮します。
そして、あちらから謝罪があれば、その時は許そうと思います。
そして、この価値観を受け入れてくださってほんとうにありがとうございました。