婚家の信仰と私の気持ち
婚家の信仰している宗派と、私が馴染みある宗派が異なり、受け入れられずにいます。
婚家の宗派を否定するつもりはないのですが、先日も義父が亡くなった際、親戚一同で読経したのですが、私には唱えられませんでした。罰当たりかもしれませんが、冷めた目でしか見る事ができません。
私の実家は婚家とは別の宗派で、信仰が深い訳ではありません。
しかし、やはり小さい頃から仏事などで唱えていたお経の方が心地よく感じられます。
また、私自身の卒業した大学が仏教系の学校で、一般教養の中に入っていたのが、その宗派の授業だったものですから、そちらにも親しみがあります。
今回、私に病が見つかり、心の拠り所として、精神的に落ちつけそうな、写経をしたいと思っています。
私が写経したいのは、般若心経ですが、婚家の宗派は般若心経ではありません。
このような時にはどうすれば良いでしょうか。読経は皆と一緒にすべきですか?
また、写経は私の気持ちでしても、良いものなのでしょうか?
拙い文章で申し訳ありませんが、教えていただきたく、お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「この教え一つ」という出会いに至るまでは色々学んでみては
ご相談拝読しました。なかなか悩ましい問題ですね。幼少期からの宗教経験の役割は大きいのだなあと興味深くお聞かせいただきました。
私としては、なおきちさん個人の信仰は大切にしていただきたいですし、また、せっかくご縁をいただいた婚家さんの宗派についても、抵抗感からないがしろにしてしまわず、まずは学んでみていただけたら有り難いことだと感じます。
その際に無理に一緒に読経しなければいけないとか、信じる前提でいなければいけないということはありません。どのような教えなのか触れてみて考えていくということです。
宗派は違えど仏教であるならば共通するもの(四法印〔諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静〕など)があり、目指すものは成仏(仏様に成ること)です。
仏様とは真理に目覚めた方であり、他をして目覚めさせる方です。そのための方法論や成仏の時期などが宗派解釈で異なるわけですが、どの宗派の教えが優れているかという問題ではなく、自分自身に実現する教えは何かということが一番の問題です。
これからお義父様の年忌法要など、折に触れて家の宗教としての仏事は勤めていかねばならないでしょう。
せっかくの機会ですからそのご縁を活かして婚家さんの菩提寺のご住職に質問してみるなどしてご自身の信仰を確かめていくとよろしいかと思います。
家の宗教と個人の宗教のバランスを上手くとれる立ち位置が見つかるといいですね。般若心経は素晴らしいお経ですから是非写経なさってその教えに触れてください。
好きなお経とか宗派とか、気持ちの快・不快とか、もちろんきっかけはそれでかまいません。
でも仏教は自分の気持ちを満足させる教えではなく、自分の気持ちに振り回されて迷っている自分に目覚めさせてくれる教えです。
この教えこそ私を救うものだ!という出会いがあると良いですね。
質問者からのお礼
回答いただき、嬉しく思います。
「宗派は違えど仏教であるならば共通するものがあり、目指すものは成仏です。」
こちらの一文が、気持ちをスッキリさせてくださいました。
もっと柔軟に考えても良いものなのですね。
構える事なく、突っぱねる事なく、受け入れてみたいと思います。
お礼が遅くなり失礼いたしました。
ありがとうございました。