職場に嘘をついて休んでしまいました
プライベートでどうしても締め切りに間に合わない提出物があり、それを仕上げるために数日時間が欲しく、嘘をついて突然会社を休んでしまいました。
この御時世なので発熱したと言えば簡単にお休みを頂けてしまうので安易に上司に嘘をついてしまったのですが、罪の意識で何も手につかなくなってしまい当初の目的を果たせるかも怪しい程にその事しか考えられなくなっています。
仕事は現在忙しくはないのですが、数日休むとなると私の仕事を他の人にお願いすることになり迷惑をかけてしまうと分かっていながらこんなことをしてしまったことをとても後悔しています。
社会人になって10年も経っているのに良い年をして何をやっているんだろう、上司は休みを快諾してくれたけれどきっと皆んなに嘘ではないかと怪しまれているのではないか、自分の評価が酷く下がったのではないかとやっておきながらぐるぐると悩んでしまっています。
もう二度とこんなことはしないとは思っていますが、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまいそうでそんな自分が信じられずどうすればいいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いいんです、ズル休みして。もうがんばっているのだから
提出しなくてはいけないものがあり嘘をついて会社を休んでしまった。それを後悔してしまって、仕事が手につかない状態なのですね。今までそう言うことがなかったのに間違ったことをしてしまった…と悔やんでおられるのですね。
まず言いたいのは、何も気に病むことないという事。相談者さんは本当に誠実な方なのだなぁと感じます。でも、人間大人に成るとずる休みするものだと思います。ずる休みする人だって立派にやっているのです。本当はそれで良い。常にズルしないで頑張る必要なんてありません。たまにはずるしてもいい。恥ずかしい話ですが、私も教員を長くしていたのですが、生徒が居るにもかかわらず、年に2回位は仮病を使って休んでいました。その時はすごく後悔します。でもそれによって自分の精神や身体のバランスを取っていたところがある。人間計画通りにならない、むしろその揺れやすき間、寄り道みたいなものが大事なんです人にとって。人間は一定なんてしていない、今までのあなたは決して休んではいけないという方向で頑張ってこられたかもしれない。でも、ちょっと考えてみると、休めるようになる、ズルを自分にも許容できるようになるということも立派な成長かもしれませんよ。逆に考えてみて下さい。想像してみて欲しいのですが、あなたが理想の会社を創り、理想の上司になったとしましょう。部下がプライベートですごく大事なことがあって、1度だけズル休みしてそれがバレた。そうしたらその人を罰するでしょうか。馬鹿と呼ぶようなのが理想の人間でしょうか。そうではなくて、揺れを許容できる、一定でない人間を許容できる方が成熟した大人なのではないか?そんな風に思います。
エリクソンという教育学者によれば、人間は30代位まで価値観を創ったり壊したりして自分の価値観を創造し続けていくそうです。あなたも今、価値を壊したりして、新たな価値を作る時が来ているのかもしれない。私も若い頃は、ズル休みなんて絶対許せない方でした。でも30代になって考えが変りました。もうちょっと緩くやって良い。その事で死ぬわけではない、人間は頑張るために生まれてきたのではない、上手くやるために生きているのではないと思う事にしました。だから私は「もう二度と」こんなことしないというのが少し心配です。何度も言うけど、揺れて良いんです。
※平野啓一郎さんの本『私とは何か』を読んでみて欲しいです。
懺悔しましょう
懺悔の仕方をお伝えします。
今回は嘘をついたことを後悔しているわけですね。でも、たぶん嘘つきましたと後で言える状況ではないですよね。大切なことは、やばいやばいと自分に向いていた意識を、他の人への慈悲の心に切り替えることです。
まずご縁のある仏様、親しみを感じる仏様に何でも良いので自分が良いと思うお供物やお線香や灯りをできる範囲でお供えします。仏壇があればなお良しですが、なければ携帯で画像をだしても構いません。仏様は高い位置に置きましょう。
「仏法僧に帰依します」
と言って、あなたの供物が仏様の元に届いたと想像します。仏様は微笑んでいると想像します。
あなたが意図して行った悪いこと、気づかずにしてしまった悪いことを反省して、再びやらないよう心がけます。と仏様にご報告します。
それから、私が今まで行ってきた良いことの結果が、ご迷惑をかけてしまった人たちに実りますようにと、自分の行ってきた善行(他者への思いやりの行い)による徳をすべてみんなにプレゼントします。それによって、みんなの苦しみが全てなくなって幸せになりますようにと願います。
仏様から光が放たれて、みんなの苦しみが完全になくなり、幸せになったと想像します。みんなの幸せを見て、あなたに喜びの気持ちが湧けばとても良い想像です。
最後に、仏様が自分の心のなかに溶け込んだと想像します。そのままゆっくりと呼吸をして、静けさを味わいましょう。
お役に立ちますように。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。