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体外受精にチャレンジしても良いのか

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有り難し有り難し 41

こんにちは。私は現在30歳で、結婚2年目です。
不妊治療も2年目で、私にも主人にも目立った原因がありません。
恥ずかしながら、ほとんど貯金が無く、人工授精までしかチャレンジしていませんでした。

そんな中、今の会社のオーナーが私達の不妊治療をバックアップしてくれることになりました。(私も主人も同じ会社で働いています)
妊娠・出産後のバックアップも色々提案して下さり、来年6月からは世帯収入が10万ほど上がる計算になります。

1月末に1回目の治療にチャレンジするのですが、今更躊躇している気持ちがあります。私が「不妊」には理由があるのではないか?と考えてしまうようになったのです。大好きな主人との子供を授かりたい一心なのですが・・・。
仏教的に不妊とは何か理由があるのでしょうか?もって生まれた運命を医学の力で授かった場合何か大きく変化があるのでは?と思ってしまいます。
しかし、体外受精はあきらめないといけないと思っていた矢先舞い降りたチャンスというところにも運命を感じています。

自分の本心の赴くまま、体外受精にチャレンジしても良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出来ることは、していきましょう。

尽くさないと叶わない望みがあり
尽くしても叶わない望みもあります。

医療が発達し
そのおかげで生まれる子どもも増えました。
でも医療を尽くしても妊娠しないこともあります。

やはりその領域は
作る作らないではなく
授かるか否かなのでしょう。

不任に
仏教的な理由などありません。
ただそういうご縁なのだと引き受けるだけです。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

ご夫婦の決断次第です

ご相談拝読しました。不妊治療へのステップアップへの不安・疑問のお気持ちをお聞かせいただきました。

私個人の意見としては、お子様を望む気持ちがあるのであればできることにチャレンジしておくことをオススメします。
不妊治療には時間的・金銭的・体力的・精神的な限度があると思います。その中で、もし授かれなかった場合にし得たことにチャレンジしなかったことが後悔として残るのではないかと思うからです。
「子どもが欲しい」という自然な気持ちをサポートする手段が不妊治療なのですからトライしてみてはいかがでしょうか。

しかしながらご心配の通り生命観・倫理観にも関わることですからどうしても抵抗がおありでしたらセカンドオピニオンを求めることを検討してもいいかもしれません。

「不妊」にあるのは理由(意味)ではなく原因でしょう。仏教とは普遍的な真理を説く教えであり、その基本は縁起の教えです。縁起とは物事には原因があるということです。それが例え偶然的要素だとしても原因であることには変わりありません。
さらには、医学的に原因がないというのも不十分で、「現代医学ではわからない」というのがより的を得た表現でしょう。コレだという原因が判明せずとも、より高度な治療を受けられる専門医を受診すると何か見当がつくこともあり得るのかもしれません。
もちろん「原因がある・わかる」と「原因をコントロールできる」はイコールではないので、あくまでも「授かりもの」ということを抑えておかなければなりませんが・・・。

「仏教的な不妊の理由」ということで運命めいたものや、大いなる存在の意思とか、絶対者の啓示とか、先祖・霊の祟りとか・・・そういうものをイメージされているのだとしたら、そのようなことは仏教では説きませんのでご安心ください。

専門医の見解を受けてご夫婦でよく話し合ってみてください。どのような形であれご夫婦が協力して歩んでいかれることを念じております。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

問題ないと思います。

仏教では、私たちが頭で考える概念はすべて実体のない幻だと見ます。
だから、「人間」という概念すら幻。
私たちは一人ひとり、一匹一匹が別々の個性をもった生き物なのです。
だから、体外受精で子供を産む人がいても問題ないと思いますよ。
そのような技術も、生物の進化の一種かもしれません。
なお、子供がいてもいなくても、私たちの生活には、苦しみ・不満・やらなきゃいけないことが次々と起こります。
子供がいない人には子供がいない苦しみがあり、子供がいる人には子供がいることに伴う苦しみがあります。
たとえ願いが一つ叶っても、毎日毎秒の新たな課題は尽きない。
これは真理なので、覚えておきましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ