もう自殺したい
ここでも相談しました、家族にも相談しました、医者にも行ってます、カウンセラーにも行っています。でも死にたい気持ちが消えません。
ここでは、あなたは疲れてるから休んだほうがいいと言われました。
でももう家族が許してくれるとは思えません。
もう一年近く、ぐうたらして、休んでるはずです、これ以上休むことを認めてくれるとは思えませんし、坊さんとはいえ、ネットの人の言ったことを信用してくれるとは思えません。
お金もありません、独立できません。バイトには何度も落ちています。
かといって学費も払ってもらって、これ以上負担をかけてくれるとは思えません。
自分が恵まれた立場にいることは理解してます。それでも死にたい気持ちが消えません。
もう疲れました。死にたいです。
自分は死んだほうがいい側の人間だと思います。
生きることが難しい。 死にたいと思ってしまう。 ゲームやマンガで気を紛らわそうとしてしまう。 他人の視線が気になる。 ものぐさ
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死にたい気持ちわかります
拝読させて頂きました。
あなたがご自分のことを「自分は死んだ方がいい人間だと思っている」こと、「もう自殺したいと思っている」こと様々な思いで苦しんでいらっしゃることを読ませて頂きました。その思いはあなたでなければわからないかとは思いますが、あなたのお気持ちを心よりお察しします。
私もあなたのような気持ちを抱えて何10年もあちこちの病院や専門医やカウンセラーの方々のところに行き通いました。なかなかいい医師やカウンセラーにも出会えずに毎日毎日「苦しい、死にたい」と思いながら今日までやっとというかとりあえず生きてきました。今でも合間に「つらい、死にたい」という思いがふつふつと湧き上がってくる時もあります。
私はそのような時には仏様を心の中で思い出して「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」とおとなえして、「どうか仏様、よろしくお願いします。こんな私ですがよろしくお願いします。」とひたすら仏様にお願いします。そうしていくとそのうちになんとなく「今してることを無理してやんなくていいんだ、無理してやることなんかないんだ。例え死んだとしても仏様に全ておまかせすればいいんだ。」という思いというかそんな声が聞こえてきます。
何でもやらなければならない、何かしらしなければならないというのは幻想ですし。自分や周りが勝手に思っていることなのです。
大事なことは仏様を信じて念じることくらいで、あとは大したことないのです。
宜しければ医師やカウンセラーもいろいろ探してみてもいいと思いますし、じっくりとあなたの心の中に湧き上がる思いを仏様に聞いて頂いてもいいと思いますし、この場でも可能な範囲であなたの思いを書いてもいいと思いますし、オンラインにてお話しなさってみてもいいかと思います。
苦しみを抱えて生きること、そんな弱くはかない自分がいることを知って下さい。
そのような中にあってもあなたはあなたが思っている以上に遥かに大切な人ですし、尊い存在です。
私はあなたが生きることをとても尊いことだと思っています。
あなたは決して独りではありません、ここでもあなたの存在があり、あなたはつながりを持っています。
今でもあなたは沢山の大切な方々とつながり続けているのです。
またぜひあなたのお気持ちを聞かせて下さいね。
自分の心の本当の声を聞いてください
お辛いですよね。
ご自分の状況が周りから否定されていると感じておられると思います。
人が生きる事は、ある意味苦しみと共にあると言えると思います。
あなたがおっしゃるように、人から嫌なことを言われ続けたり、どんどん歳を取って自分や人に対する責任を問われたり、自分の努力ではどうにもならないと感じる病になったり、、、。どうせ、どんなに頑張っても最期には死ぬなら、とっとと死んでしまった方が楽だと感じておられるのかもしれませんね。
死んで今より楽になると思いますか?
死んだら全てが終わるとお思いでしょうか?
今なら人に助けてと言えますが、死んだらあなたの声はだれにも聞こえません。
辛く寂しくさを抱えたまま、何十年何百年も、さまよう事になる可能性もあります。
まず、自分が出来ることがあるのに、楽になるために死を選ぶのは得策では決してありません。
では、どうやって生きたらいいのか…。
まず、人と自分を比べないことです。人は1人ひとり別の宇宙を生きているようなものです。感覚も価値観も違います。だから、人に対して批判することも、されることも無意味です。
そして、人の言葉に左右されること無く、自分の心に向き合ってください。
あなたが辛く感じているのは、本当は自分らしく楽しく生きたいからではありませんか?
あなたは何を観て美しいと感じ、何をして楽しいと感じるでしょうか?
本物のそれは、まだまだあなたの心の奥なので、解らないかもしれません。
でも、小さなことから、あなたが楽しいと感じることを探してみてください。寝転んだ刹那、とても体が楽だと感じるその一瞬の楽しみも、立派な楽しみと言えます。
それを味わってみてください。
小さな事でいいんです。
そうやって積み重ねていくと、少しずつ心の奥に入れます。
そうして行くと、あなたが本当は何を楽しいと感じ、本当はどんなことをしたいのかがわかってくると思います。
自分が心の底から楽しいと思えることが見つかったら、そのことに打ち込むことが生きるということにもなる思います。
自分の心の底から本当に打ち込めることに巡り合うということは正に仏様の救いです。
阿修羅ってアニメを観る機会がありましたら、今私が書きましたことを思い出してくださいね。最後のシーンの意味がわかると思います。
まだ絶望するには早いですよ。
質問者からのお礼
自分の心がわかりません。
ここで相談して、言葉をいただいて、なんとか頑張ろう、進もうと思えても次の瞬間に「死にたい」が脳裏をよぎります。
もうすっかり疲れました。家族もこれ以上休むことは認めないから進むしかありません。
でもどうしても「死にたい」と考えてしまいます。
お礼の言葉でこんなことを書いてすみません。