孤独死は悪いことでしょうか
ネットで孤独死の写真を見たことがあり、ごちゃごちゃとした生活感のある部屋に生々しく死のあとが残っていて、その光景が忘れられません。人は死ぬ時は一人ですが、孤独死というのは一から十まで完全に孤独って感じがしてとても寂しいです。発見されたあとは綺麗に清掃されてその人が生きていた証も完全に消え去って、世界はいつものように続いていって…それが現実の自然の摂理なのだと思いますが、それが無機質すぎてずっと心のどこかに刺さったままでいます…。こんなご時世ですから元々人と繋がりがなかった人はもっと孤立していって、一人で誰にも知られず死んでゆく、それが嫌じゃない人もいるでしょうが、やっぱりどうしようもなく寂しいです。孤独死は悪いことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【ビハーラ活動】
"孤独死は悪いことなのでしょうか"
https://hasunoha.jp/questions/49103
前回でもお答えしたように、いつ、どこで、どのように死ぬのかは問題ではない。むなしく過ぎ去ってしまう生のほうが問題なんだ。
とはいえ、あなたのおっしゃるように孤独死なんてやっぱり寂しいよね。悲しいよね。
かつてインドのマザーテレサは、空き寺を借りて「死を待つ人の家」をつくり、道端で野垂れ死にしかかっている人々を片っ端から受け入れて、「大丈夫、あなたは独りではない」と声をかけ、手を握り、微笑みかけながら見送ったそうな。おまけに、自身はカトリックのシスターであるにもかかわらず、故人がヒンズー教徒ならヒンズー教流に、イスラム教徒ならイスラム教流に葬儀を執り行い弔ったというから驚きだ。
もしよろしければ、世の中で孤立してしまっている人々や、死を前に悲嘆に暮れる人々に手を差し伸べ、光とぬくもりを届ける活動に、あなたも関わってみてはいかがでしょうか?
悪いことではありません。
質問者からのお礼
本当に「ただただ寂しい」状態がそこにあるのがどうにもならない無常さを感じます…。言葉でごまかせない現実があるというのを感じました。虚しく過ぎ去ってゆく生の方が怖いという言葉にハッとさせられました。でもきっと、散らかった部屋で孤独死してゆくひとは生も虚しく過ぎ去っていった人が多いんだろうな、と思うと、やるせません。
マザーテレサ、時々思い出しますが、本当に凄い人だと思います。ここで書きながら胸を痛めることは簡単ですが、実際に行動に移せる人というのは少なくて、そういう人も必ず死んでゆくのだから、生を充実させることは大切だなと思いました。
光とぬくもりを届ける活動に自分が関わるというのは盲点でした。今まで自分の中の感情ばかりに向き合っていたので、そういう方向からアプローチしていくことも出来るのだな、と気付かされました。できることから少しずつなにかしらでも始めてみようと思います。ましてやこんなご時世ですし、バランスを崩す人はたくさんいるはずです。
回答ありがとうございました。