自分の生き方が許せないし不安に感じます。
何社か転職し、その間MBAを取得し、現在上場企業で経理職に就いています。今年で三年目ですが、全く仕事に面白味を感じず、毎日やめたいと思っていたことから、昨年夏より働きながら社労士の勉強を始めました。でも、その勉強もきつくて先月から途中土
でやめてしまいました。そんな自分に失望するし、なぜ自分で決めたことを頑張れないのかと悲しく感じます。
今の自分は過去の自分が作った訳で、何も言い訳は出来ませんが、自分を許せないし、この先大丈夫か、とても不安です。
お坊様皆様ご多忙のことと思いますが、一言でも助言等頂ければ、有り難く思います。宜しくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の過去が自分を支えてくれる。認め信じて少しずつ進めばいい
頑張っておられるじゃないですか。
自分で決めた目標に、及ばないこともありますよ。過信し過ぎたのかもしれませんね。だから、挫折した自分が許せない。
でも、チャレンジしたから、今はまだ早かった、難しかった、足りなかったと気づきもする。
それは、決してマイナスにはならないと思いますよ。
仕事をしながら学び、チャレンジして、よく頑張られたと思いますよ。今は届かないのであれば、少しハードルを下げながら、スキルアップのために、またチャレンジすればいいのです。
自分の過去が、自分を支えてもくれる◎
だから、大丈夫だと。
自分を認め信じて、少しずつでも進めばいいのです。
ファイトですよ╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !
応援しています。
努力自体を楽しめる子供心を忘れていけない
拝見いたしました。
最近私が考えていたことの一つが、努力の継続は善か悪か、です。
苦しくても続けることで、開ける未来がある。
その一方で、報われない未来が訪れたとき、努力は泡に帰してしまう。
大人になる過程で誰もが経験することです。
そのせいなのか、社会人になると大抵二通りの意見に別れます。
「つまらない仕事でも努力するといいことがある」という継続派。
「合わなければ入社した直後でも転職だ」という転換派。
そこで私は「結果が例え実らなくても、楽しかったと思える努力なら努力するに値する」と考えました。
プロ競泳選手になるとしましょう。
泳ぐことが嫌いだけど、環境や能力的にできそうだから努力するAさん。
泳ぐことが好きでたまらず、能力や環境は厳しいけど努力するBさん。
さて、二人が3年間努力して二人ともプロになれなかったら、どうでしょう。
Aさんは費やした時間も努力も無意味です。
Bさんは過程自体が楽しかったので、結果が出なくても楽しい人生です。
では、プロになれたらどうでしょう。
Aさんは念願を叶え、幸せの絶頂です。
Bさんはプロかどうであれ、泳げるので幸せ者です。
どうでしょうか。
結果を重視するAさんと、過程を重視するBさんでは、幸福の質が違います。
どちらがいいかは、人それぞれです。
ですが人生の大半は、過程です。
子供の頃は、結果なんて考えず、楽しいことをしていたはず。
それでいいんです。
結果が保証されない現代では、楽しめる努力をすれば、とりあえず楽しい人生を築くことができます。
そしてそのくらい楽観的に考えたほうが、結果が出るものです。
ですが皮肉なことに、現実はもっと複雑です。
Bさんのような人も、いつの間にか結果重視のAさんのようになることもあります。
結果が魅力的すぎて、不可能なのに惹かれてしまうこともあります。
それはそれで、冒険の楽しさがあります。
要は「人生が楽しくなるか?」という観点が満たされれば、それでいいのです。
かけがえのない人生です。
振り返ったときに、楽しかったと思える人生ならいいじゃないですか。
大事業を成し遂げることも素晴らしいです。
ですが、恋人と遊んでゲームではしゃぐことも、立派な人生です。
夢は大切にしなくたっていいんです。
辛いだけならやめて切り替えましょう。
楽しい努力がどこかに転がっているはずです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
大変気持ちが軽くなると同時に、前向きに捉えて、もう一回小さなことから継続してやってみようと思えました。また、悩むことがあれば、是非相談させて下さい。
ありがとうございました。