正直者は馬鹿を見る
私は歳上で住職である夫を尊敬し信頼していました。私は夫に言われるように専業主婦になり、子育てをしていました。しかし、生活の中で夫へ違和感を感じていたこともありました。
その違和感は夫から身体的、精神的、経済的な暴力でした。当時私はその違和感がDVだと気づけませんでした。(後にカウンセリングで判明)
夫の考えはお金と権力で、夫にとって不都合なもの、人は容赦なく切り捨てていました。私も子どもを産み、要なしになり捨てられたのだと思います。
夫は自分の思い通りにならなかったことに腹を立て、未就学児の子どもを私に無断で連れ去り、子どもに母親である私の悪口を吹き込んでいます。
裁判所を通して話し合いもしているのですが、夫の主張は嘘ばかり、DVについても否定し続けており、自分に都合の悪いことは全て私の責任にと責任転嫁もしており誠心誠意を尽くしません。
子の連れ去りは日本中で横行しており、海外からの批判も多く、子どもへの虐待、相手親にへのDVとしても周知され出しています。
私は人道すら外れた人間が僧籍を持ち、平然と信者に説法を唱え、お布施をもらい、そのお金で酒や高級車、趣味にお金を注ぎ込んでいることに怒りを覚えます。
また、子の連れ去りは拉致誘拐にもかかわらず、日本は黙認し続けていること。子どもたちの心身の成長を阻害してしまっていることに胸が痛くてたまりません。
人を欺く者が平気で楽しく過ごし、正直に生きてきた者が踏み潰される世の中にうんざりです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
理念の炎
こんにちは。
ご主人と「裁判所を通して話し合い」の事態になっているのですね(離婚裁判中ということでしょう)。また、子供さんは現在ご主人の元に居るそうなので、そういった面でも非常にお辛い状況だと思います。
結果的に結婚生活が上手くいかなったことは残念でしょう。
僧侶という立場の人だからこそ「尊敬し信頼」することは無理もありません。それが現実は違ったことに落胆する気持ちも大きいものだとお察しします。
ただ、私はこの場であなたから見たご主人像や、「拉致誘拐」という事実の当否、制度上の当否については触れません。あくまで、表題の通り「正直者は馬鹿を見る」ということについてのみ回答します。
あなたは、「正直者は馬鹿を見る」から、「正直者」であることを止めようと思いますか。
失意の底にあるから、そこまで考えられないかもしれません。それはそれでいいと思います。ただ、長い目で、いつの日にかこう考えられたら、ということをいいます。
私は浄土真宗の僧侶ですが、親鸞聖人を心底尊敬しています。親鸞聖人はお師匠である法然上人に29歳で弟子入りし、35歳で朝廷により引き離されてしまいました。それは時の政治や、他の仏教宗派によって弾劾されたからです。
お二人にとってこれが今生最後の別れになり、それぞれ地方に流されました。親鸞聖人にとってとても辛い出来事でしたが、ではそこで弾劾される原因となった浄土の教えそのものを放擲されたかと言うとそうではありません。
親鸞聖人が90歳で亡くなるまでその理念の炎は消えませんでした。その姿は当時の都の主流派から見れば不遇な人生だったかもしれません。しかし、親鸞聖人が当時お書きになられた書からは、仏教についての溢れんばかりの喜びが今もって伝わる程です。それは自分の大切にする理念に正直であり続けた人の姿だと思います。
私は大切なものは大切にしたいし、出来うる限り正直でありたいと思います。
あなたの中で「正直」という理念の炎が、これからもそしていつの日か復活することを願っています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
これからも自分に正直でありたいと思います。世間の目ではなく、自分に嘘をつきたくないのかなと思いました。
また、血を分けた我が子も自分に素直に正直に成長して欲しいと改めて強く思いました。