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同居に限界を感じています

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有り難し有り難し 21

結婚と同時に主人の母親と同居にして今年で29年目になります。

最初の頃は出来るだけ姑に親切にしようと頑張ってきましたが、実はそれが結局自分の首を絞めることなのだと、15年程経った頃にようやく理解して、今は必要以外の事は喋らず行わずの日々です。

「自分の首を絞める」のはどうしてかと言えば、親切にした状態が姑にとっての「当たり前」になり「もっと」を要求されるからです。それが繰り返されればこちらに無理を強いられる状態が続き、結局諍いに発展してしまいます。

何がどう嫌なのかと聞かれても嫌な事が多すぎていちいち書くのも思いだすのも辛いのですが、とにかく欲が深くてケチなくせに、こちらの負担になる電気水道の無駄遣いは酷いし、とにかく「自分のもの」への執着が強いです。

例えば長年、玄関の下駄箱は姑一人だけのものでした。大きな下駄箱に姑が40年近く前からの靴などを一杯入れて私たちには使わせてくれません。
私が持ってきた小さな下駄箱が二階の階段上に置いてあるのでそれを使いますがいちいち仕舞いにいくのも面倒なので玄関先は靴で溢れていました。

半年ほど前に玄関に置いた鍵がなくなり散々探した挙句、姑が下駄箱に架けたまま1年以上放置している傘の中に入っていました。
更に無くしたままの車のスペアキーも傘の中から出てきたのを見て、少し反省したのか、下駄箱のホンの一部(5足ぐらい分)を空けてくれました。しかしその「傘」は自分のものではない、と言い張ります。

自分の物に執着はあるものの、自分の非は絶対に認めたくないのです。

普段は全く正常なのですが、季節の変わり目に突然不思議な事を言いだして
私に難癖をつけます。(姑の押し入れに私が不要な布団を入れたとか。実は要らなくなった姑自身のコタツ布団です。ホットカーペットにしたのでコタツは処分しました。)

食事へのコダワリも強く、姑に合わせた食事作りにも苛立ちます。娘が作ると「要らん」と言ってカップ麺を食べたりするので娘も姑が嫌いです。娘の料理は
まずい訳ではありません。

「娘の作った食事を食べてあげることは、娘を育てる事になるんだから、例えまずくても食べる事が親やバアさんの愛情なんじゃないの?私の祖母は私が作った料理を文句も言わず食べてくれたけど」と言いましたが無駄のようです。

同居が何年続くのかと思うとやりきれません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫はあなたに感謝ね。あなたのおかげで親が元気で暮らせている

ん〜 プロフィールも読ませてもらいましたが、姑さんはかなりご高齢のようですね。
どこまで自由を許し、どこを同居のルールとしていくのかは、難しいですね。

ただ、作ったものを食べず、カップラーメンを食べようが、好きにさせたらと思いますし。(あれじゃなきゃ嫌だというより、勝手に食べてくれるのだから)
下駄箱も、高齢者は古いものでもなかなか整理して捨てようとしませんので、ただ億劫になっているだけかなとも思います。
こちらで、整理しながら、勝手に捨てていっても、気づかないのではないですかね。

水道の出しっぱなしなどは、気をつけてあげなきゃならないかもしれませんが。週に数回は、デイサービスに行ってもらうとか、あなた方ご家族も、気の休まる時間が持てたらいいですよね。

離婚も出来ない。親にもガツンと言えない、わかってもらえない、などの状況の中では、現実に上手くバランスをとりながら、やっていくしかないように思います。

当たり前になり、もっとを要求されても、無理言われてもここまでしか出来ませんと通すしかないですし。
家も財産も、いずれ譲り受けると思えばこそ、優しくなれますけれどね。それでも、同居だと、いろいろ目につきますものねぇ。

本当に、夫は、あなたに感謝しなきゃね。
あなたのおかげで、ここまで元気で自由きままに、親が暮らせているのだものね。
よく、頑張ってこられましたよね。

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

早速ご回答を頂きありがとうございます。
誰に相談しても何か具体的な解決策が出てくる訳ではない事は分かっているのですが、聞いて頂けるだけで本当に有難いです。
ポロポロ涙がこぼれてきました。
夫は「ありがとう」とかは全く言いませんし、ネガティブな言葉しか言いません。アスペルガーも疑っています。
とにかく自分を励まして生きていきます。

この後、なんとなく「祈って下さっているのかな?」と不思議と思えてきました。
なんの根拠も無いのですが「どなたかのお坊さんが祈って下さっているのかもしれない」とふと思えたのです。本当に有難いです。
この家にご縁があったことも、姑との長い同居生活も「前世からの因縁」と言えばそれまでなのでしょう。認知で困らないだけまし、下の世話をしないだけまし、と思い日々を過ごしていきます。

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