真剣に生きるとは
真剣に生きるとはどういうことでしょうか。
私には2歳6ヶ月と1歳の娘2人がいます。子供たちにご飯を食べさせて、洗濯物を干して畳んで、子供たちと遊んで、買い物に行って、家族のお夕飯を作って、子供たちをお風呂に入れて、寝かしつける毎日です。
お掃除は苦手なので、お風呂掃除は夫が毎日していて、掃除機かけはお休みの日に夫がしてくれます。たまに私もやります。
ひとりになる時間はほとんどありません。日中は子育てサロンに行ったり、自分の実家に行ったり、お家の中で遊んだり公園に行ったりしています。
毎日同じように過ごしていて、自分が何のために生きているのかわからなくなりました。
というのも、昨日、夫から「真剣に生きてる?真面目に生きてる?」と聞かれたからです。
その瞬間、自分の存在を否定されたような気がして、涙が出て止まりませんでした。
たしかに、日々努力して何かを頑張ってやったり、目標というものはないです。ですが、毎日必死に子供のことやお家のことをやっているつもりでした。
子供たちにイライラしてしまうことがあって手が出そうになったりすることもあります。毎晩、反省しています。
しかし、やっているつもりで、本当はできていなかったのでしょうか。
私は、自分の時間を犠牲にして子供やお家のことをやっているとは思っていません。家事育児は当然だと思っています。
でも心のどこかで、自分は自分の時間を犠牲にしてるのにと思っているのかもしれません。
夫は仕事で夜21時過ぎに帰ってきて、好きなテレビを観て笑っています。
家庭のために遅くまで仕事をして、収入を得てくれているし、家事もやってくれています。
私は何をしたらいいのでしょうか。真剣に生きるとはどういうことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
真剣に生きていますから大丈夫です。
みなさんのご心痛お察し申し上げます。
みなさんは、子育て、家事のこと、ご主人のことと充分に今やるべきことをこなしています。何と言っても小さなお子さん2人の子育ては大変なことと思います。
自分の時間はないと言っても過言ではありません。しかし、多くのお母さんたちも同じような経験をされてきたのだと思います。
そういう意味では真剣に生きてます。又、真剣でなければ我が子を守り育てることはできません。
ご主人の言葉には傷つきますが、それもあまりご理解されていないからだと思います。
誰しも自分が辛い経験をされた方は、自ずから相手の苦労が分かるゆえ、労りの言葉や行動に現れます。ゆえに、心ない言葉を吐く方は、残念ながらそのような苦労をされていないのかもしれません。
そのように思うしかありません。ゆえに責めても仕方ありませんし、そのような言葉はスルーすればいいのです。たとえそのことを追求しても、返ってくる言葉は期待できるようなことではありません。
たしかに今は、子育て中心となっていますが、それもアッと言う間のことです。
どんどんと子供は成長し、すぐにお父さんにも注意するようになります。
今しかできない子供との接する時間を楽しめばいいのです。それもわずかの間のことです。
世のお父さんたちは、残念ながら(私も含め、反省を込めながら)子育てをしているお母さんたちの苦労はあまり実感していないと思います。
それは、自分は外で働き家族を養っていると、たしかにそうですが、だからと言って、かなり勘違いをしているのだと思います。
そして、みなさんのご苦労は多くのお母さんたちからみれば当然なのかもしれません。イライラを子供に向けないでください。「三つ子の魂百まで」とありますが、これは本当だと思いますので、楽しく笑顔で子育て家事、そして家庭を守ってください。これこそ真剣に生きていることです。
子育てが終われば、又、自由に羽ばたけます。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
昨日は一日中考えてしまっていましたが、お返事を拝読し、気持ちを変えて生活していこうと思いました。
子供たちにはいつも笑顔で楽しく過ごしてほしいので、私自身も笑顔でいようと思います。
お言葉、ありがとうございました。